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進取の精神 京阪電鉄の礎

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京阪電鉄が開業した1910年4月15日に撮影された、天満橋駅近くを走る電車(京阪電鉄提供)
京阪電鉄が開業した1910年4月15日に撮影された、天満橋駅近くを走る電車(京阪電鉄提供)

渋沢栄一と商都・大阪

 かつて「私鉄王国」と呼ばれた関西。国鉄の向こうを張るように線路を敷き、沿線に宅地や商業施設を開発して大阪の発展を牽引けんいんした。五つの主要な私鉄の源流は明治~大正時代に始まる。その一つ、京阪電鉄(大阪市)は、渋沢栄一が設立に携わった「渋沢銘柄」だ。

パリ視察途上で感銘

 江戸末期の1867年、渋沢は仏パリで開かれる万国博覧会への途上に乗った鉄道に、「国家はかかる交通機関を持たねば発展はしない」と感銘を受けた。その5年後の72年、東京・新橋―横浜間が開業。89年には新橋―神戸間の東海道線が全通し、鉄道網が急ピッチで整備された。

 「渋沢栄一伝記資料」には、目次だけでも50を超える鉄道会社が登場する。中でも、81年に渋沢たちが起こした日本鉄道は、各地に私鉄が誕生するきっかけとなった。

 渋沢が注目した地域の一つが京都―大阪間だ。すでに淀川西岸に沿って官設の東海道線があったが、江戸時代から旅人でにぎわう京街道のある東岸は鉄道の空白地帯だった。

 95年に渋沢らは鉄道事業の認可を申請。しかし、「東海道線と競合する」と退けられた。2度目は仮免許を得ながら、不況で株主が集まらずに失効させてしまう。そして1906年、阪堺鉄道(後の南海電鉄)創立をリードした松本重太郎らと共に行った申請が通り、ようやく「京阪電気鉄道」が設立された。

前例のない試み

 10年を超える年月を費やしてでも、京阪間にこだわった理由は何か。

 人や物の往来が活発な近畿にあって、東海道線だけでは早晩、輸送力の不足が生じる。渋沢はこれを「国利民福(国家の利益と国民の幸福)ニ関係スル」課題と考えた。

 立教大学の老川慶喜名誉教授(日本経済史)は、「渋沢には『日本の近代化のために地域を発展させる』という視点があった。京阪間の交通は、国にとってもゆゆしき問題だ、と捉えていたのだろう」と指摘する。

 将来を見通す卓見と、「鉄道で社会に貢献する」強い意志が、京阪電鉄の誕生につながった。そして、同社は前例のない試みで競争力を磨いていく。

 設立から8年後の1914年、日本初となる急行電車の運行をスタート。開業当時は100分かかった天満橋―五条間を、ノンストップの60分で駆け抜けた。30年からは子会社・新京阪鉄道が「超特急」を運行。表定速度(営業距離/所要時間)で時速72.7キロは当時の国内最速だった。

 渋沢は著書「論語と算盤そろばん」で、「自ら箸を取れ」と、進んで行動を起こすことの大切さを説いた。開業100年の社史編さんに携わった京阪電鉄の藤原進主幹は「挑戦を続けた根底には、渋沢の進取の精神があった」としている。(松久高広)

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1996413 0 New門@大阪 2021/04/20 05:00:00 2021/04/20 05:00:00 2021/04/20 05:00:00 京阪電鉄が開業した1910年4月15日の天満が使役付近の様子(京阪電鉄提供) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210419-OYTAI50003-T.jpg?type=thumbnail

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