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性的少数者が集う寺住職 柴谷宗叔さん 66

守口市にある「
「性善寺」という名前には、「誰でも仏様になれる素質を持っている」という仏教の教えと、「性で悩むことは悪ではなく善である」という二つの思いを込めました。
物心ついた頃から、ほかの男の子とは何か違うと感じていました。好きだったのは野球ではなく、ままごと。だけど、女の子は仲間に入れてくれませんでした。現実の世界に居場所を見つけられず、本ばかりを読んでいるような子どもでした。
LGBT(性的少数者)という言葉も認識もない時代。父親は「男は男らしく」という考えで、すぐに手を出す人でした。親元を離れるため東京の大学に進学。卒業後は、「服装が自由」というイメージのあった新聞社に入社しましたが、取材時はやはり背広にネクタイ姿。会社では「男」を演じ、家に戻るとスカートをはくという〈二重生活〉を送っていました。
転機となったのは1995年の阪神大震災です。当時神戸市内に住んでいましたが、母親に用事を頼まれ、たまたま寝屋川市の実家にいたんです。その後は会社で寝泊まりしながら仕事を続け、1週間後にようやく戻ると自宅は全壊していました。
がれきの中から見つけたのは、四国八十八か所霊場の納経帳。当時はスタンプラリーのような気分で集めた物でしたが、「身代わりになって助けてくれはったんや」とはっとしました。それが仏の道に進むきっかけとなりました。
仕事の傍ら、往復6時間かけて高野山大学大学院の社会人コースに週1回通学しましたが、次第に仕事との両立が難しくなり、51歳で早期退職。それを機に「もう何も隠す必要はない」と性別適合手術を受け、戸籍も女性に変更しました。
宗派ごとに僧侶を記録する「僧籍簿」の性別も女性にしました。高野山真言宗では、一部の儀式には男性しか入れません。「もったいない」とも言われましたが、自らの性を全うしたかったのです。
若い頃、私には気持ちを打ち明ける場所がありませんでした。「性について悩む人を救う寺を作りたい」と活動していた時、ご縁があって出会ったのがこの寺です。先代の尼僧が高齢で長らく手入れされていませんでしたが、初めて私が訪れた時、ご本尊のお釈迦さんが、にこーっと笑われた気がしたんです。お寺に呼ばれた、そう思っています。
私のような(心と体の性が一致しない)トランスジェンダーや同性愛者の多くは子どもがいません。性善寺では、そうした人らの永代供養も行っています。また、戒名は基本的に男女で異なりますが、「死んでからも意思に沿わない性は嫌だ」という人もいるので、ご本人の望む性別で戒名を付けています。
私より上の世代は、家族にも隠したままという人がたくさんいると思います。新型コロナウイルスの感染拡大が終息したら、高齢者施設を訪れて、寺の取り組みを知ってほしいと思っています。
毎月最終日曜日には、ご
当事者でなければ、わからない気持ちがきっとある。道のない所に道を付けていくのが、私の務めと思っています。(久場俊子)
◆大阪市出身。早稲田大卒。2005年に新聞社を退職した後、高野山大学大学院で本格的に仏教を学び、僧侶となる。主な著書に「江戸初期の四国遍路」(法蔵館)など。