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民主化逆行 許せない

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在日ミャンマー人を支援 アウン・ミャッ・ウィンさん 47

 ミャンマーで1980年代に起きた民主化運動に参加後、難民として大阪市で暮らすアウン・ミャッ・ウィンさん(47)は、国軍による今年2月のクーデター以降、市民への弾圧などで混迷が続く母国の行く末を案じています。サッカーワールドカップ予選で国軍へ抵抗の意思を示して日本政府に保護を求めた選手を支援しており、「民主化の流れに逆行する国軍は許せない」と訴えます。

 最大都市ヤンゴンで、4人家族の長男として生まれました。四つの民族の血が流れ、人口の7割を占めるビルマ族と顔つきや肌の色が違うため、幼い頃からいじめを受けて育ちました。

 高校生だった1988年に参加した学生運動が民主化運動に発展し、約3000人の犠牲者が出ました。私も軍に1か月近く拘束され、拷問を受けました。その後、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が結成され、同青年部に参加しました。

 93年にヤンゴン大に進学しましたが、2年後にスー・チー氏の演説の録画ビデオを配った容疑で逮捕され、釈放後の97年、命の危険を感じて出国。外国船の船員として働いていましたが、米国から日本へ向かう船で仲間から「国に帰される」と聞き、98年に寄港先の広島で下船しました。

 その後は各地を転々とし、東京の焼き肉店で働いていた2002年6月に不法滞在で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けました。在留資格がなく、そのまま入国管理局の施設に計2年間収容されました。過酷な環境で送還の恐怖におびえていましたが、約40回の面接の末、04年にようやく難民認定を受けることができました。

 08年、難民への支援制度がある関西学院大に入学し、国際人権法を専攻。人種・民族による差別や民主主義について学びました。母国の現状を伝えるフリーペーパー「平和の翼ジャーナル」編集長を務め、10年には7年半の軟禁生活から解放されたスー・チー氏に電話取材したこともあります。

 その際、スー・チー氏からは「亡命を受け入れた日本への感謝を忘れないで」と声をかけられました。翌年に起きた東日本大震災では、「今が恩返しをする時」と、難民仲間とアルバイトで稼いだ義援金を送るなど、被災地の支援を行いました。

 13年にスー・チー氏が27年ぶりに来日した時には、京都を訪れていたスー・チー氏に直接、「政権トップに立った時には、子どもたちへの人権教育に力を入れてほしい」と訴えました。

 ミャンマーでは、軍に有利な憲法下で行われた15年の総選挙でNLDが大勝して政権に就きましたが、今年2月に国軍がクーデターを起こし、大統領やスー・チー氏らを拘束して実権を握りました。

 人権団体「政治犯支援協会(AAPP)」によると、国軍による銃撃などで900人超が殺害され、5000人以上が拘束されています。私のSNSにも、母国の同胞から窮状を訴えるメッセージが次々と届いており、仲間がひどい目に遭っていることには心が痛みます。

 クーデター以降、在日ミャンマー人の仲間と各国総領事館前などでデモ集会を重ね、連帯を訴えてきました。

 SNSを通じて助けを求められ、サッカーワールドカップ予選で国軍への抵抗の意思を示したピエ・リヤン・アウン選手(27)の保護にも力を貸しています。住居を提供し、難民申請の手続きを支援しています。

 いまミャンマーに必要なのは人権教育です。民主化の流れに逆行し、市民の迫害を続ける国軍は許せません。「今回が最後の戦い」と信じ、活動を通じてミャンマーに真の民主主義を根付かせたいと思います。(福永正樹)

 ◆1974年、ヤンゴン生まれ。軍事政権から逃れるため1998年に日本に入国し、2004年に難民認定された。現在は、通訳・翻訳業、ミャンマー料理店、介護業などを営む傍ら、生活に困窮する技能実習生や留学生ら在日ミャンマー人を支援している。

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2222739 0 大阪ひと語り 2021/07/21 05:00:00 2021/07/21 05:00:00 2021/07/21 05:00:00 在日ミャンマー人を支援するアウン・ミャッ・ウィンさん(大阪市で)=福永正樹撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210720-OYTAI50027-T.jpg?type=thumbnail

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