世界挑む姿 我が子に

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パラリンピック柔道100キロ級出場 松本義和さん 59

 東京パラリンピックの視覚障害者による柔道で、日本代表松本義和さん(59)(大阪市住吉区)は8月末、100キロ級に出場しました。シドニー大会(2000年)、アテネ大会(04年)に続く、3回目の出場。試合は初戦で敗れましたが、大舞台への再挑戦を決意した背景には、アテネ大会以降に生まれた2人の子どもに、世界に挑む父親の姿を見せたいとの思いがありました。

 高校1年の終わり頃、視野が狭くなったと感じ、病院で緑内障と診断されました。視力は徐々に衰え、20歳で失明しました。「自分がなぜ、どうして」。本当に毎日がつらかったです。車道ですぐそばを通り抜けた車に「はねるなら、はねろ」という気持ちになったこともありました。

 柔道を始めたのは、府立盲学校(現・府立大阪南視覚支援学校)に通っていた時でした。柔道は人の手を借りずに相手をつかんで練習ができるので、最初は体を鍛えたいという思いで始めました。練習をするたびに技術的にできることが増え、成長する喜びを感じ、夢中になりました。

 厳しい練習を重ね、38歳で出場したシドニー大会では銅メダルを獲得しました。それまで抱いていた障害に対する気後れがなくなり、自信を持つことができました。4年後のアテネ大会は良い成績を残せませんでしたが、日本選手団の旗手を務めました。

 アテネ大会後の04年に長女が誕生、06年には長男も生まれ、「次は子どものためにパラリンピックに出よう」と新たな目標ができました。しかし、国内の大会で敗退し、08年の北京から、ロンドン、リオまで3大会続けて代表を逃しました。

 「還暦前になったが、何とかしてパラリンピック出場までの過程を子どもに見せたい」との思いが、東京大会への気持ちを奮い立たせました。

 昨年からは、コロナ禍で通っていた道場での練習が難しくなり、トレーニングは自宅が中心となりました。中学でサッカー部の長男(14)が誘ってくれた公園でも練習するようになり、鉄棒の支柱に結び付けたチューブを引っ張りながら投げ技などを繰り返しました。

 思いがけないこともありました。公園で練習中、遊んでいた小学生から「頑張ってください」と声をかけられたのです。とても励みになりました。こうした周囲の支えで国内外の大会で成績を残すことができ、東京大会への切符を手にすることができました。

 大会では初戦で敗れ、敗者復活戦でも勝てませんでした。悔いは残りますが、精いっぱいやりました。目標に向かって全力を尽くす姿は見せられたと思います。

 大会後、公園で練習中に声をかけてくれた小学生から「松本せん手のように目ひょうをもって強くあたたかい大人になるようにがんばりたいです」と書かれた手紙が届きました。柔道をやっていて本当によかったと思いました。

 パラリンピックでは「失ったものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」という言葉が知られています。この言葉を胸に、今後も柔道を通して障害を持つ人たちが積極的に社会参加できる「共生社会」の実現に携わりたいです。(聞き手・福本雅俊)

 ◆大阪市出身。2019年の全日本視覚障害者柔道大会で優勝、同年のIBSA柔道アジアオセアニア選手権大会銀メダル、00年シドニーパラリンピック銅メダル(いずれも100キロ級)など。柔道五段。

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