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「『障害』児・者の生活と進路を考える会」代表 鈴木留美子さん 73

「障害」児・者の生活と進路を考える会の鈴木代表(豊中市で)
「障害」児・者の生活と進路を考える会の鈴木代表(豊中市で)

 豊中市の市民団体「『障害』児・者の生活と進路を考える会」の鈴木留美子代表(73)は、障害があっても小さい頃から地域の幼稚園や小中学校に通い、ともに育ち、学びあい、生きる社会の実現を目指しています。知的障害を持つ長男を公立高校まで通わせた経験から、「障害がある子と、ない子がともに成長することで一人一人の違いを認め合う社会になってほしい」と願います。

 「障害児は支援学校に通う」といった考え方に縛られず、障害のない子とともに育つことの大切さを、例会や講演会を通じて伝えています。障害児も友達の行動や発言から多くを学び、周囲の友達も、障害児が困っていたらさりげなく助ける心が芽生えるのです。

 考える会の発足は約40年前だそうです。子どもがありのままに暮らせるよう、親や教師が意見交換してきました。私が活動に参加するようになったのもこの頃で、長男の小学校入学がきっかけです。

 当時はまだ、障害者が外出することすら難しい時代でしたが、新幹線に乗車したり、一泊旅行したりと障害児の生きる力を育む取り組みが1980年に始まりました。会では現在も、もちつき大会やそうめん流しを続けています。

 小学校入学前は愛知県で暮らし、長男も幼稚園に通っていました。園に迎えに行くたびに「はさみが使えない」「服の着脱ができない」とできない点ばかり指摘され、家で涙を流すこともありました。でも、楽しそうに友達と過ごす長男を見て、地元の公立小に通わせたいと考えていました。

 そんな時、夫の関西転勤が決まりました。偶然ですが、豊中市の公立校では障害児を受け入れていると知り、引っ越し先に決めました。障害児も地域の学校で一緒に教育を受けて、社会で生きる力をつける「インクルーシブ教育」は、この頃すでに豊中市で実践されていたのです。

 6年生で一時的に不登校になったこともありましたが、同級生が家を訪ねたり手紙をくれたりしたおかげで、再び通えるようになりました。友達の大切さを改めて感じた出来事です。

 公立高校への進学は大きな壁でした。テストで点が取れないので合格する可能性はほぼなく、定員割れする学校を受験。それでも不合格だったため納得できず、府教委に直談判に行きました。小中学校での長男の生活ぶりを記した紙を高校に持参して理解を求め、2次募集で合格を勝ち取りました。

 長男が幼稚園の時には泣いていた自分が、ずいぶんたくましくなったものです。長男の生き方から多くを学び、私も成長したのでしょう。長男も友達から刺激を受けて服のボタンを自分でつけたり、文字を覚えたりと成長しました。今もできないことは多いですが、社会に出て自分なりに楽しく生きています。

 「特別支援」という言葉で、健常児と教育を受ける場を分けられることに、なんの違和感も感じない社会になっていないでしょうか。私たちの経験から「ともに学び、ともに生きる」教育の大切さを伝え、悩んだり、あきらめたりしている保護者の支えになりたいと思っています。(聞き手・大森篤志)

 ◆鳥取県出身。東京女子大短期大学部(当時)卒。1982年から「考える会」の活動に参加。NPO法人「豊中市障害者就労雇用支援センター」理事や「高校問題を考える大阪連絡会」代表も務める。

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