パラメダル獲得に伴走

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視覚障害の陸上選手の練習支える 石井美信さん 72

銀メダルを手に和田選手(右)と記念撮影する石井さん(茨木市で)
銀メダルを手に和田選手(右)と記念撮影する石井さん(茨木市で)

 茨木市のジョギングサークル「大阪ミントJC」の石井美信さん(72)は、東京パラリンピック陸上の男子1500メートル(視覚障害)で銀、5000メートル(同)で銅メダルを獲得した茨木市在住の和田伸也選手(44)(長瀬産業)の練習を支えてきた一人です。「和田選手は私たちの誇り」と、2年後のパリ大会に向けて一緒に走り続けるつもりです。

 学生時代に陸上競技の経験はありませんでしたが、40歳から健康のために走り始めました。市内の喫茶店に集まっていたランナーたちと出会ってのめり込み、1992年に「ミント」を結成しました。活動は週1回の走行会などで、今年30周年を迎えます。

 和田選手との出会いは、2006年。当時、和田選手の練習支援をしていた、京都市の視覚障害者のランニングチーム「賀茂川パートナーズ」の練習会に興味を持って参加し、その日、初めて和田選手と一緒に走りました。

 病気で関西大在学中に失明した、和田選手がランニングを始めたのは、その少し前。スピードがあり、きれいなフォームに驚きながら、気がつけば、一緒に21キロも走っていました。

 それからは、伴走する喜びに目覚めました。弱視の男性に「病気で視力が低下する前に登った立山に、また行きたい」と頼まれ、海抜0メートルの富山湾から立山連峰・雄山(標高3003メートル)の山頂まで、65キロを走る大会にも出場しました。岩場や雪渓も2人で越えて登頂に成功した時、最高の達成感に感激して抱き合いました。1人よりも喜びが何倍も大きいのです。

 約8年前に和田選手が茨木市に転居してから、ミントのメンバーで練習補助をするようになりました。交代で毎朝7キロほど伴走します。和田選手は人懐っこくて礼儀正しく、メンバーからは「わだっち」と親しまれていますが、競技に向かう姿勢は厳しい。海外遠征があると、1か月前から食事の時間をずらして時差に適応させるなど、その取り組み方には感服します。

 ただ、新型コロナウイルスの影響で東京大会が1年延期になり、40歳を過ぎた和田選手には不利だという思いがありました。それが本番では、5000メートルで2大会ぶりに銅メダル。1500メートル決勝ではゴール直前にロシア選手の追い上げを振り切り、アジア記録を更新するタイムで銀メダルを決める姿に、涙が止まりませんでした。

 昨年12月には和田選手とメンバー約40人で東京大会の報告会を開き、銀メダルに触らせてもらいました。私は20年5月に、左足をけがして以降は和田選手と走れていませんでしたが、ようやく治り、伴走も再開できそうです。

 身近にすごいアスリートがいて、メダルに少しでも貢献でき、こんなにうれしいことはありません。刺激や勉強になるだけでなく、一緒に風を感じながら走ることは、すごく楽しいです。

 和田選手は、東京大会後に5000メートルでさらに自己ベストを更新しました。「自分も負けていられない」という気持ちが湧いてきます。(聞き手・阿部健)

 ◆兵庫県村岡町(現・香美町)出身。高校卒業後、設計事務所などに勤め26歳で1級建築士の資格を取得し、42歳で茨木市に自分の事務所を開いた。その年に初挑戦したフルマラソンを完走、2年後に初めて3時間を切る「サブスリー」を達成した。

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