初小説 映画史に一石

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エッセイスト 武部好伸さん 67

 日本で最初に、活動写真(映画)をスクリーンに映し出したのはどこか。通説では「1897年(明治30年)京都市での試写」とされてきたが、「大阪・難波の方が早い!」と異論を唱えたのが、エッセイストの武部好伸さん(67)だ。上映“一番乗り”を目指すしのぎ合いを小説「フェイドアウト 日本に映画を持ち込んだ男、荒木和一」として世に問うた。大阪愛あふれる作品への思いを聞いた。

 子どもの頃、大阪市東区(現・大阪市中央区)の龍造寺町に住んでまして、地名への思い入れが強いので、小説のペンネームは「 東龍造ひがしりゅうぞう 」です。映画が大好きで、大学では音楽演劇学を専攻しました。映画作りの実技を学べるかと思ったのに理論が中心だったので、大学には行かずに家の近所の映画館にばかり通ってました。年間500本以上も見て、入場料を稼ぐのにアルバイトしてましたから、大学に行く暇なんかありません。

 その後、新聞社に入って、科学部や文化部で記者として働き、1995年に退社。今はエッセイストとして活動しています。

■   □

 大阪を舞台にした映画約650本を調べてゆかりの場所を紹介するエッセーを映画雑誌に連載し、平凡社から「ぜんぶ大阪の映画やねん」というタイトルで出版。その中で行き当たったのが、荒木和一でした。

 私も通説通り「日本初は京都」と思っていましたが、資料を調べていくと、現在の「なんばパークス」(大阪市浪速区)のあたりにあった鉄工所で、1896年末に荒木が関係者を集めて試写会をやっていました。映写機はアメリカから輸入した「ヴァイタスコープ」という機材でした。

 「初めての映写も大阪や!」と大興奮。2016年に「大阪『映画』事始め」という本にその経緯をまとめると、読んだ人から「事実は小説より奇なり!」「小説にしたら?」という声が寄せられました。日の当たるところより、日陰にそっと咲く花の方が好きな性分。“一番乗り”したのに認められない日陰の荒木――。「よし、小説にしてみよ」と執筆に取りかかりました。

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 あるパーティーで知り合った大手出版社の編集者に頼んで、最初に書き上げた原稿を読んでもらったら「さすが元新聞記者。事実関係がしっかりしている」と言われました。ほめてもらったのかと思ったら「小説は、事実と事実の間を読者に読ませなくてはいけません。いわばウソが必要なんです」と言われてしまいました。

 それではと、特許権などを持っていたエジソンに荒木が直談判するシーンなどにフィクションの要素を加えて書き直し、もう一度その編集者に見せたら「なるほど、これならいいですね」という。

 「ほなら出版してもらえます?」

 「あぁ、うーーん。うちからはちょっと」

 「えー? そぉなん?」

 ということになり、結局、「つて」を頼って出版してもらうことになりました。もちろん、アドバイスがあったからこそなので、その編集者にも感謝しています。小説を読んだ人からは「映画にできそうですね」との声をいただきました。

 次は、織田作之助の小説「 夫婦善哉めおとぜんざい 」にも登場したぜんざい店のお多福人形「おたやん」について書いてみたいと思っています。(聞き手・彦坂真一郎)

 ◆1954年、大阪市生まれ。大阪大文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。エッセイストとして、映画、ケルト文化、洋酒、大阪をテーマに執筆、著書も多数ある。小説はペンネームで執筆した。

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