戦後75年「大阪大空襲」証言、DVDに 大阪のミニコミ紙協力
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コロナで講演中止 肉声の重み、風化防ぐ
平和をテーマにしたミニコミ紙の制作会社「新聞うずみ火」(大阪市北区)が、大阪大空襲の体験者と、戦争の証言映像のDVD作りを進めている。体験者は子供たちに語り部を続けてきたが、今年はコロナ禍で伝える場が失われた。戦後75年で記憶の風化が危惧される。「語れなくなる前に言葉を残したい」。体験者の思いに、同社が制作を決めた。完成は来春の予定で、学校に無償で貸し出される。(水谷弘樹)
体験者5人と、うずみ火の矢野宏代表(61)らは戦後70年を迎えた2015年、戦争の悲惨さを伝えるため、「平和学習を支える会」を設立。府内の中学・高校を中心に毎年20~30回の講演を行ってきた。
しかし、今年は新型コロナウイルスの影響で、3密を回避するため、多くの学校で平和学習の講演が中止になった。体験者らから残念がる声が相次いだ。
同社は10年と12年、府や堺市の委託で、戦争体験者のDVDを制作した実績がある。矢野代表は「体験者の声や思いを形にとどめ、子供たちに、命や平和の大切さを学んでほしい」と撮影を決めた。
DVDは約10人が出演予定。田尻町の吉田栄子さん(86)は10歳だった1945年3月13日、大阪市浪速区の自宅が空襲で焼け、家族9人を失った。自身は市外にいて助かったが、戦後、親族宅を転々とした。物不足や孤独に苦しんだという。吉田さんは「悲惨な時代を経て、平和な今があることを知ってほしい」と意気込む。
一方、制作決定後、出演予定者が死亡し、メンバーには風化への危機感が強い。
大阪狭山市の浜田栄次郎さんは11月、91歳で亡くなった。空襲で大けがを負い、右手は曲がったまま、自由に動かせなくなった。戦後、仕事や暮らしで苦難の連続だった。傘寿を迎えた頃から学校で語り部を始め、DVDに参加予定だった。
矢野代表は「最初の講演後、浜田さんは『子供たちの目を見て、自分の言葉が伝わっているのがわかった』と喜んでいた。証言を残してあげたかった」と悔やむ。
制作のため、同社はクラウドファンディングで支援金を募り、約3か月間で目標の約60万円が集まった。
撮影は来年1月に開始し、同3月に完成予定。空襲体験者の集会で上映するほか、学校に無償で貸し出す。
矢野代表は「戦禍をくぐり抜けた人の肉声だからこそ、戦争の愚かさ、平和の尊さは強く伝わる。一言一言を大切に記録していきたい」と話している。
【大阪大空襲】 大阪国際平和センター(ピースおおさか)によると、大阪では1944年12月~45年8月、米軍機の攻撃を50回超受けた。このうち、B29爆撃機100機以上が襲来した計8回の大規模な空襲を「大阪大空襲」と呼ぶ。