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庶民の英雄 石碑移転へ・・・「大塩平八郎終焉の地」工事で

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移転が決まった「大塩平八郎終焉の地」の石碑の前に立つ藪田会長(左端)ら(大阪市西区で)
移転が決まった「大塩平八郎終焉の地」の石碑の前に立つ藪田会長(左端)ら(大阪市西区で)

大阪・西区の靱公園に

住民ら寄付呼びかけ

 江戸時代後期の「天保の飢饉ききん」の際、飢えに苦しむ民衆を救うために大坂で乱を起こした大塩平八郎(1793~1837年)の最期の地に立つ石碑が、敷地内の建物の建て替えで移転することになった。移転先はすぐ近くのうつぼ公園(大阪市西区)に決まったが、費用面が課題となっており、「地元の英雄の功績を語り継ぎたい」と住民らが寄付を呼びかけている。(彦坂真一郎)

 大塩は陽明学者で、大坂町奉行所の与力を退いた後、自宅で塾を開いて学問を教えていたが、天保8年(1837年)2月、政治の腐敗が庶民を苦しめているとして、門人の武士や農民約300人を率いて決起。わずか半日で鎮圧されたものの、事件が社会に与えた衝撃は大きく、その後の倒幕の機運の先駆けともされる。大塩は翌月、養子の格之助とともに、遠縁にあたる靱油掛町(現在の大阪市西区靱本町)の染物屋、美吉屋五郎兵衛宅に潜伏中、幕吏に囲まれて自決した。

 「大塩平八郎終焉しゅうえんの地」の石碑は、大塩事件研究会会長の藪田貫・兵庫県立歴史博物館長らが発起人となって乱から160年にあたる1997年、染物屋敷跡地に隣接する天理教飾大しきだい分教会の敷地内に建てた。幅2メートル24、高さ1メートル13の黒御影石製で、大塩の功績とともに、「その名は今もなお大阪市民に語り継がれている」と刻まれた。建設資金は市民約400人からの募金360万円をあてた。

 昨秋に教会の建て替えが決まり、研究会のメンバーらが移転先を検討。地元の靱連合振興町会とも相談して、「市民が親しみやすい場所に」と現在地から約150メートル北の靱公園内に移すこととし、公園を管理する大阪市の許可も得た。

 問題となったのが、約200万円の移転費用。「返礼品にするものがない」(藪田会長)としてクラウドファンディングは断念し、寄付による協力を呼びかけることにした。

 賛同者の一人で、講談師の旭堂南海さんによると、乱の直後に事件を題材にした講談が演じられたが、3日目に幕府から差し止められた記録が残るという。南海さんは「大塩を主人公にした演目はその後もいくつも生まれ、まさに庶民の心に残る英雄だった」と指摘。靱連合振興町会の道上武男会長(82)は「地域には大塩親子が逃走に使ったという江戸時代の水路も残っている。地元で語り継がれた歴史を残したい」と語った。

 寄付は1口1000円で、2月末までの移転を目指している。問い合わせは、大塩事件研究会事務局(06・6877・2590、090・8164・1708)。

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1795966 0 ニュース 2021/01/26 05:00:00 2021/01/26 05:00:00 2021/01/26 05:00:00 移転が決まった「大塩平八郎周辺の地」の碑の前に立つ藪田会長(左)と地元の人たち。(大阪市西区で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/01/20210125-OYTNI50032-T.jpg?type=thumbnail

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