遺跡保存 報道きっかけ 吉野ヶ里フィーバー振り返る 佐賀でシンポ

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吉野ヶ里遺跡について語るパネリストら
吉野ヶ里遺跡について語るパネリストら

 30年前の「吉野ヶ里フィーバー」について、取材した記者らが当時を振り返るシンポジウム「吉野ヶ里遺跡報道を語る」が24日、県立美術館ホール(佐賀市城内1)で開かれた。遺跡の保存に至る経緯を知ってもらおうと、県が企画。取材合戦の舞台裏や文化財報道の在り方などに関し、パネリストが自らの経験を踏まえて意見を交わした。(山田伸彦)

 吉野ヶ里遺跡(神埼市、吉野ヶ里町)は、国内最大級の弥生時代の環濠かんごう集落で、国特別史跡。1986年に始まった本格的な発掘調査で集落や墳丘墓などが見つかり、89年に調査結果が大きく報じられた。新聞やテレビが連日、貴重な埋蔵物の発見を競って取り上げ、全国から考古学ファンらが大挙して押し寄せる吉野ヶ里フィーバーへと発展し、当時の海部首相も視察に訪れる盛り上がりとなった。

 県によると、部分的な調査は遅くとも昭和初期頃から行われていた。しかし、埋蔵物の内容や価値については不明な点が多く、県は82年、一帯を工業団地造成の候補地に内定。反発の声が出る中、報道を受けて全国の注目が集まり、県も遺跡の全面保存へ方針を転換することになった。

 発掘調査に携わった佐賀城本丸歴史館の七田忠昭館長は基調講演で、「調査を続ける中で知事から『今日はどうでしたか』と聞かれるようになり、保存を考えているのかなと思った」と回顧。当時の新聞記事を紹介し、「考古学と報道は、真実を知ろうとする姿勢が共通している」と述べた。

 講演に続いて、取材した読売、朝日、毎日、西日本、佐賀新聞とNHK、サガテレビの当時の記者計7人がパネリストや進行役として登壇した。

 西日本新聞の遠矢浩司さんは「色んな物が発掘され、情報管理も厳しくなかった。各社が競って書けるだけのネタが豊富にあった」と振り返り、「記者同士で互いに切磋琢磨せっさたくまし、現場の方たちにも色々と教わった」と説明。読売新聞の萩原智さんは「弥生時代の人々がそこに生きていたことがイメージできる点が、吉野ヶ里のすごさだと思う」と強調した。

 NHKの出川展恒さんは「吉野ヶ里は佐賀、日本にとって宝物。古代史の魅力にひたれる場として生かされることを強く願っている」と語った。

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760549 0 ニュース 2019/08/25 05:00:00 2019/08/25 05:00:00 2019/08/25 05:00:00 吉野ヶ里遺跡について語るパネリストら=山田伸彦撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/08/20190824-OYTNI50035-T.jpg?type=thumbnail

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