発酵文化の花咲かせたい
完了しました
「
糀 屋 吉 右 衛 門
」4代目 山崎豊彦さん 69


「いいにおい」「何だか癒やされる」――。野洲市三上にある店舗内の工房「はっこう広場」で開いたみそ造り教室。
江戸後期から続く糀とみその蔵元を営む。180年の伝統の技を守りながら、健康志向の高まりにも背中を押され、消費者を招いた教室などで発酵文化の継承と普及にも打ち込む日々だ。
大学卒業後、機械メーカーに就職し、営業で全国を飛び回った。糀屋に生まれ育った妻冨美子さん(64)と結婚。その後も勤務を続ける一方、休日には妻の実家の仕事や米作りを手伝った。
「会社勤めと両立できたのも、糀の生産が季節労働だったから」。需要があるのは、甘酒やみその仕込みに使われる冬場が中心だった。しかし、先代だった冨美子さんの伯父が1996年に亡くなり、第1の転機を迎える。
23年勤めた会社を退職し、98年に47歳で4代目の当主に就いた。だが、昔ながらの糀作りの全てを担うのは、想像以上の重労働だった。
米60キロをせいろに入れ、まきをくべたかまどで蒸す。手作業で広げ、人肌に近い温度まで冷ますと、種糀を振りかけて混ぜる。発酵器に入れて20時間発酵させた後、2度の床もみを繰り返し、さらに木製の糀
全15工程を終えるまで、計60時間。「これでは体が持たない」。一度に300キロの米を蒸せる機械を取り入れるなど、手作りの良さを失わない程度の近代化を、国の補助金を得て実現させた。だが、甘酒やみそを造る家庭は減り、販路は昔からの取引先のみ。1年を通じて売り上げを維持することが課題だった。
そこで始めたのが、みそ造りの教室だ。山形県の漬物店を視察した際、消費者向けに教室を開いていたのがヒントになった。それでも、糀は原材料の一つとみなされがちで、光が当たることは少ない。「斜陽産業だ」との思いをぬぐえずにいた。
第2の転機は、9年前にやってきた。大分県佐伯市で老舗の糀店を営みながら、発酵食の魅力を全国に発信している浅利妙峰さんをテレビで知り、感動して手紙を書いたのがきっかけだ。
浅利さんは「そちらで講演しましょう」と野洲市を訪れ、2週間ほど滞在。地元住民らを招いた講演会で、素材のうま味を引き出し、健康にも役立つ糀の魅力を語ってくれた。同じ頃、浅利さんの活動をきっかけに塩糀や甘酒の人気が本格的に高まった。「健康志向は一過性で終わらない」。糀の将来に可能性を感じた。
飲食店に就職していた長男吉輝さん(37)も「本物を作りたい」と家業を継ぐことを決意し、戻ってきた。今では吉輝さんが糀作りの主担当だ。「いい糀は産毛のような菌糸が米粒について、文字通り花が咲いたようになる。ほれぼれしますわ」と息子の上達ぶりに目を細める。
今後は学校での食育にも携わり、食と健康の面で地域に貢献したいと考えている。「相手に溶け込んで、色や味、香りをつけ、自分はそっと消えていく」。目指すのは、そんな糀のような生き方だ。「まだまだそんな境地には至れませんが」と笑った。
(西堂路綾子)
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甲賀市水口町出身で、大学では経済学を学んだ。2019年11月に完成し、浅利妙峰さんが「はっこう広場」と名付けてくれた工房で、塩糀を使った料理教室なども開き、発酵文化の継承を進めている。参加者が各自3キロを仕込む教室は年間60~70回開催しており、参加料は2500円。万能調味料として使える塩糀の小売り(150グラム入り税込み350円)も人気という。問い合わせは糀屋吉右衛門(077・587・0397)。