地域の足存続へレール
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近江鉄道



地元では「ガチャコン電車」の名で親しまれる近江鉄道は120年以上の歴史がある。県内最古の私鉄で、社名は明治時代の創業当時から変わっていない。鉄道事業の経営不振が続くが、「地域の足をなくしてはならない」と、県や沿線自治体が全線存続に向けて協議を重ね、住民も支援している。(中村総一郎)
旧彦根藩士ら有志設立
同社が設立、鉄道免許が逓信省に認可されたのは1896年(明治29年)のこと。89年に東海道線、90年には関西鉄道(現JR草津線、JR関西線)草津―四日市間が開通するなか、湖東・東近江地域にも鉄路を――との機運が高まり、鉄道計画が浮上した。
中心になったのは旧彦根藩士や近江商人ら地元有志44人。旅客だけでなく、江州米など地場産物を運び、北陸や伊賀、伊勢方面を結ぶ期待もあった。旧彦根藩士で後の衆院議員・大東義徹が初代社長に就任した。
愛荘出身・堤氏傘下へ
1898年に彦根―愛知川間(12.1キロ)が開通。路線は次第に拡大し、1946年、八日市―新八日市間(0.6キロ)がつながり、ほぼ現在の路線になった。
一時、電力会社「宇治川電気」の系列となったが、戦時中の電力統制で同社は解散。43年、八木荘村(現愛荘町)出身の堤康次郎が設立した「箱根土地」(現プリンスホテル)の傘下に。現在、西武グループなのはそのためだ。
「ガチャコン電車」の愛称がいつ、なぜついたのか明確ではないという。近江鉄道総務課長の田中亮さん(39)は「1本のレールが他の鉄道に比べて短く、レールの継ぎ目を通過する時の『ガチャコン』という音が頻繁に聞こえるのが由来だと伝えられています」と話す。
「きっぷにハサミ」今も
長い歴史を反映し、懐かしい雰囲気はあちらこちらに。自動改札機はなく、彦根、八日市、近江八幡、貴生川などの主要駅では、かつて主流だった硬券タイプのきっぷが現役で、駅員が「
走るビアガーデン「近江ビア電」などのイベント電車(新型コロナウイルスの影響で休止中)や、自転車を持ち込める「サイクルトレイン」など新しい取り組みも。田中さんは「過去、現在、未来をつなぐのが鉄道。地域に愛される存在でありたい」と強調する。
需要減 26年赤字続く
戦後、沿線に進出した工場からセメントやビール、石油製品などを運ぶ貨物輸送の需要も生まれた。1967年度の輸送人員は1126万人を数えた。しかし、車社会の到来で下り坂となり、2019年度は475万人に。経営は1994年度から26年間、赤字が続いている。
近江鉄道本社敷地内には「
県や沿線自治体が2019年11月、法定協議会を発足。20年3月には全線存続、同年12月には24年度から上下分離(公有民営)方式に移行することを決めた。地域鉄道を残すための模索が続く。
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<MEMO>
近江鉄道(本社・彦根市)は、本線(米原~貴生川、47.7キロ、25駅)、八日市線(八日市~近江八幡、9.3キロ、6駅)、多賀線(高宮~多賀大社前、2.5キロ、2駅)の計59.5キロ、33駅。東近江、彦根、甲賀、近江八幡、米原の5市と、日野、愛荘、豊郷、甲良、多賀の5町が沿線にある。営業車両は18編成36両。トンネル2か所、橋りょう143か所、踏切175か所。