光秀「多賀出生」説 80人学ぶ

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多賀町生まれとの説がある明智光秀の生涯を紹介する井上主幹(右、多賀町で)
多賀町生まれとの説がある明智光秀の生涯を紹介する井上主幹(右、多賀町で)

 ◇講座で「温故録」など紹介

 多賀町立文化財センターで20日、戦国武将・明智光秀が多賀で生まれたという伝承や古文書を紹介する講座が開かれた。定員(50人)を上回る約80人が参加し、光秀の出生にまつわる“異説”を楽しく学んだ。

 光秀の生涯は不明な点が多く、通説は美濃(岐阜)が出生地。一方、数々の古文書のうち、早い時期にあたる貞享年間(1684~88年)に書かれた「淡海温故録おうみおんころく」は、現在の多賀町佐目生まれと記している。

 講座では、県教委文化財保護課の井上優主幹と、郷土史に詳しい沢田順子さんが温故録の内容や伝承などを解説。光秀の2、3代前の先祖が美濃の守護大名・土岐氏に背き、近江守護・六角氏を頼って移住。六角氏は美濃情勢に詳しい明智氏を国境に近い多賀に住まわせた――という。

 また、本能寺の変(1582年)で織田信長を討った光秀は「昔の古いよしみ」に味方につくよう要請したと書かれていることを紹介。実際に山崎の戦い(同)には多賀氏、久徳氏ら近江の多くの土豪が参戦したほか、戦乱とは無関係のはずの多賀大社に光秀が「乱暴狼藉ろうぜきはしない」と約束する書面を出していることを挙げ、井上主幹は「温故録の内容は自然で迫真性がある。通説を裏付ける一次史料はなく、『近江生まれ』は説得力を持つ内容だ」と語った。

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58161 0 ニュース 2019/01/21 05:00:00 2019/01/22 10:43:26 2019/01/22 10:43:26 多賀町生まれとの説がある明智光秀の生涯を紹介する井上主幹(右)(大津市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190121-OYTNI50041-T.jpg?type=thumbnail

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