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「『ふるさと創生』は今こそ見直され、成し遂げられないといけない」
10月の衆院選島根2区で初当選した自民の高見康裕さん(41)は、21日の臨時国会閉会後、読売新聞の取材に答えた。
自民党要職や派閥
抜群の知名度は心強かった一方、プレッシャーにもなったという。中山間地を回れば回るほど「竹下先生の思いが深く浸透していることを肌で感じた」ためだ。
毎年のように自然災害が相次ぎ、若者の人口流出が止まらない。地方の町村は疲弊しきっている。高見さんはバッジの重みを実感している。「今こそ、地方の声を国に届ける時だ」と。
亘氏が74歳で死去したのは、引退表明から約2か月後の9月17日。訃報が伝えられるとすぐ、松江や出雲、浜田の事務所などには往時の姿を写した写真パネルとともに記帳台が設けられ、ゆかりの人々が次々と訪れた。
「包容力があり、目立つことを好まなかった。何より田舎で生まれ育ったことを誇りにしていました」
中学校時代から60年来のつきあいを続けた元島根大学長の小林祥泰さん(75)は、亘氏の紳士然としたたたずまいに実直、温和な人柄を懐かしむ。
初出馬は2000年。秘書を務めた登氏の政界引退に伴うものだった。次点候補の倍以上となる約11万2000票で初当選を果たし、その後は復興相をはじめ、党国会対策委員長や総務会長を歴任した。
18年には、登氏が創設した経世会の流れをくむ平成研究会の会長に就任し、26年ぶりに「竹下派」を復活させた。党内で実績を積む一方、県連会長を務めていた19年の県知事選では、意見をまとめきれず、保守分裂の選挙を回避することはかなわなかった。
昭和・平成・令和と三つの時代にわたり政界に存在感を放った名が消え、島根の声を長く代弁した存在が失われた一方、政界には明るい話題もあった。
党最大派閥・清和政策研究会を率いた細田博之・衆院議員(島根1区)が11月、衆院議長に就任した。県選出の国会議員が「三権の長」となるのは桜内義雄氏以来、31年ぶり。細田さんは慣例で派閥を離れた。
くしくも、党内二つの派閥トップを務める県選出の議員がその座を去った。東京一極集中に歯止めがかからない中、地方の実情を知る政治家たちの存在は、さらに重みを増す。(今岡竜弥)