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    新たな道開く祭典

    • 1964年の東京五輪で着たブレザーに、2020年東京五輪招致のピンバッジをつけて成功を祈っている(12日、浜松市南区で)
      1964年の東京五輪で着たブレザーに、2020年東京五輪招致のピンバッジをつけて成功を祈っている(12日、浜松市南区で)

     1964年の東京五輪に陸上・十種競技代表として出場した鈴木章介(76)は、後にプロ野球・巨人のランニングコーチを務め、日本シリーズ9連覇に貢献した。浜松市の自宅には、73年にV9を達成した時のウイニングボールが飾ってある。貴重なボールを大事そうにケースから取り出すと、目を細めながら言った。「これが我が家にあるのは、東京五輪に出場できたおかげですよ」

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     鈴木が予期せぬ誘いを受けたのは、15位だった東京五輪を最後に引退してから1か月ほどたった頃だった。「うちのコーチをやってもらえないか」。オープン戦で浜松球場を訪れた巨人監督の川上哲治(当時)は、大まじめな表情だったが、首を縦に振ることはできなかった。浜松商業高校時代に本格的に始めて以来、陸上一筋。野球経験ゼロの自分がプロ球団で何ができるか想像できなかったからだ。

     川上は続けて言った。「ケガから早く復帰したり、スランプから抜け出したりするために何が必要か、あなたならわかるはず。とにかく手伝ってほしい」

     陸上から引退し、製紙会社の営業担当社員として新たな一歩を踏み出そうとしていた。「どうせゼロから始めるなら野球の道に行ってみよう。自分が成功すれば他の選手にも道が開ける。絶対に成功させよう」と決意した。

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     十種競技は2日間かけて100メートル、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400メートル、110メートル障害、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500メートルを行う。総合的な運動能力が求められ、勝者はキング・オブ・アスリートと称される。この競技の経験から、鈴木は「打つにしても、投げるにしても、下半身の強さが必要。土台がしっかりしてこそ、良いプレーができる」と考え、走り込みを重点的に行った。

     当時は「トレーニングコーチ」という言葉もない時代。反発する選手も少なくなく、「俺は野球選手で陸上選手ではない」と面と向かって言われたことも。それでも、選手の先頭に立って走り、共に汗を流し続けることで信頼を勝ち取っていった。着任した65年から巨人は前人未到の9連覇。19年にわたりコーチを務め、球団トレーニングコーチの先駆けとなった。

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     川上から誘いを受けた頃を思い出すと、街中はまだ五輪の余韻に浸っていた。三波春夫の「東京五輪音頭」がどこからか流れ、入賞できなかった自分にも、周囲からの祝福の声はやまなかった。「アマチュアスポーツ選手の社会的地位は、東京で五輪が開催された結果、飛躍的に向上した。だからこそ、自分に声がかかったと思う」

     五輪出場で想像すらしたことのない人生を歩んだ鈴木の夢は、2020年に思い出の国立競技場で妻と五輪を観戦することだ。

     「東京で五輪が開催されれば、代表になった若い選手たちにもいろいろな分野で活躍するチャンスが与えられるはず。その場合は創意工夫、研究、努力で生かしてほしい」

     (敬称略)

    2013年08月30日 22時56分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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