文字サイズ

    佐野日大高校3年 田嶋大樹投手(18)

     昨年春の選抜高校野球大会で全国屈指の左腕として注目された佐野日大高校3年の田嶋大樹投手(18)。ドラフト1位候補と期待されていたが、プロへは進まず、社会人野球の強豪JR東日本でプレーすることを選んだ。ドラフトの指名が可能になる3年後にプロ入りを目指す田嶋投手に、社会人野球へ進んだ理由や、今後の目標などを聞いた。(聞き手・都梅真梨子)

    • 選抜大会前に投球練習をする田嶋投手(昨年3月、佐野市で)
      選抜大会前に投球練習をする田嶋投手(昨年3月、佐野市で)

     ――年が明けてすぐ、JR東日本の寮に入った。

     「高校の登校日には帰りますが、あとは柏市にある寮で暮らし、練習ざんまいです。朝6時頃に朝ごはんを食べて、8時から練習。午前はウェートトレーニング、午後は全体練習をして、夕方5時半に終わります。4月の入社以降も練習づけの日々になると聞いています」

     「野球部の同期は7人で、高校生は自分ともう一人だけ。先輩たちはにぎやかで楽しい人ばかりですが、練習はかなりきつい。一つのメニューにかける時間が短く、内容が濃いんです。高校のように、何時間も一つのことをやっていたら間に合いません。次々と別のメニューが課されるので、高い集中力が必要になります。でも、監督から左のエースナンバーの『14』をもらったので、期待に応えられるよう頑張ります」

    高校でけが続き ――プロからも注目を集めていたが、社会人という選択をした。

     「高校の3年間はけが続きで、自分の体の弱さを思い知らされました。これではプロで通用しないと思いました。それに、社会人としての礼儀も身に付けたかったので、高校を出てすぐプロに行く、とは考えられませんでした」

     「それでも、友だちや親戚から『プロに行ってよ』と言われ、インターネットの書き込みなどでも、当然プロに行くようなことが書いてあった。行った方がいいのかなぁと心揺さぶられ、プロ志望届の提出締め切りぎりぎりまで悩んだのも事実です。でも、親や監督など一番近くで支えてくれた人たちが『焦らず3年間じっくりやってみてもいい』と言ってくれたので心は決まりました」

     「JR東日本に決めたのは、夏の県大会後に監督と部長、親と一緒に寮と練習場を見学して、設備が整っているのに驚いたから。他にもオファーがあったのかもしれないけれど、即決しました」

    焦りはない ――選抜で戦った有力選手たちが次々とプロへ進んだ。選抜で2三振を奪った智弁学園の岡本和真選手も、ドラフト1位で巨人に指名された。

     「岡本とは仲も良くなって、巨人に決まったときには(無料通話アプリ)『LINE(ライン)』で、『おめでとう』とメッセージを送りました。『なんで行かなかったの』と返事が来ましたが『自信がなかった。基礎体力がなさすぎる。礼儀もなってないし社会のことも全然知らない。勉強してから行く』と正直に答えました。焦りはありません。憧れと応援、『自分も頑張るぞ』という気持ちでいます」

     ――夏の県大会決勝では作新学院に敗れ、甲子園を逃した。

     「自分の未熟さを知ったし、進路を定める上で大きな試合になりました。左肩の炎症で途中降板しましたが、1、2週間で激痛がうそのように治った。選抜が終わってから試合で投げていなかったことが大きかったと思います。緊張感の中で完投するのと、ブルペンで気軽に投げるのは違います。自分の準備不足から招いた結果にふがいなさを感じました」

     「甲子園はテレビで見ていました。悔しいというより『こいつすげーな』『こいつもやべーな』と選手たちを見ていました。ナンバーワンなどと報じてもらいましたが、自分ではただのへなちょこ投手だと思っています。技術も精神力もまだまだ。自分の理想の投球ができたことはまだありません。うまいと思ったらそこで成長が止まってしまいます」

     ――最短3年でのプロ入りを目指す。

     「行きたいチームや憧れの選手を聞かれますが、これといったものはありませんし、今は記録への挑戦という意識も全くない。とにかく長く続けられる選手でいたい。故障せずに20年以上続けるのが目標です。なるべく長く野球をやって、納得のいく形で終われればいいと思っています」

    • JR東日本野球部での練習で日に焼けた顔をほころばせる田嶋投手(1月26日、千葉県柏市で)
      JR東日本野球部での練習で日に焼けた顔をほころばせる田嶋投手(1月26日、千葉県柏市で)

     たじま・だいき 1996年8月3日、宇都宮市生まれ。小学3年から同市の学童野球チーム・宝木ファイターズで投手を始め、中学時代は鹿沼市の硬式野球チーム・鹿沼ボーイズに入り、日本代表として世界選手権にも出場した。佐野日大高校では2年の春から背番号「1」。変化球と最速145キロの直球を武器に、1、2年の秋の県大会で2連覇を果たし、3年春の選抜大会でチームを4強に導いた。身長1メートル83、体重76キロ。左投左打。

    JR東日本野球部 東京に本拠地を置くJR東日本の社会人野球チームで、前身の「東京鉄道局」は1920年に創部した。日本野球連盟に属し、合宿所と練習グラウンドは千葉県柏市にある。毎年夏に開催される社会人野球のトーナメント戦「都市対抗野球大会」に17回出場。決勝に4回進出し、2011年に優勝を果たした。毎年秋に開かれる「社会人野球日本選手権大会」へは7回出場し、12年に準優勝した。プロに進む選手もおり、元阪神の赤星憲広外野手やオリックスの吉田一将投手、巨人の寺内崇幸内野手らを輩出している。

    2015年02月01日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    PR
    今週のPICK UP

    理想の新築一戸建て