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    深川の雪・下

    歌麿と栃木 狂歌の縁

    豪商に敬意 家紋描く

    ■高品質

     江戸中期の浮世絵師・喜多川歌麿(1753年頃~1806年)の作品からは、栃木市とのゆかりの深さが浮かぶ。

    • 善野家の家紋「九枚笹」が肩に入った着物=「深川の雪」より
      善野家の家紋「九枚笹」が肩に入った着物=「深川の雪」より

     66年ぶりに公開された肉筆画の大作「深川の雪」。描かれた女性たちの中で、足元の猫を見つめる女性の着物の肩には、ササの葉を9枚重ねた家紋「九枚笹くまいざさ」が入っている。これは制作を依頼した栃木市の豪商・善野家のものだ。「雪」とともに3部作の一つである「品川の月」にも、この家紋が入った着物の遊女が描かれている。歌麿はどのような意図で家紋を入れたのか――。「雪」を購入して公開する神奈川県箱根町の岡田美術館の小林忠館長は、豪商に敬意を込めたのではないかと説明する。

     3部作は豪商「釜伊」の初代・善野伊兵衛が依頼した。使われた紙は、江戸期のすき技術では作れない巨大で千年は持つとされる高品質の「宣紙」。小林館長は「当時は、貿易が禁じられていた時代。豪商が秘密裏に手に入れたのではないか」と推測する。「雪」と「月」は2枚、「吉原の花」は8枚の宣紙を正確に貼りつなげており、広い制作スペースと、均一な湿度環境が必要だったとされる。また、岡田美術館が「雪」の修復で汚れを水でこすってもにじまず、小林館長は、絵の具も極めて質が高かったとみる。

     「こんな条件を整えた豪商の経済力ときっぷのよさに、歌麿も驚かされたはず。敬意を込めて家紋を入れたのでしょう」

    ■江戸に追随

    • 達磨の修業と遊女の苦行を対比させた「女達磨図」(縦39.5センチ、横56.5センチ)
      達磨の修業と遊女の苦行を対比させた「女達磨図」(縦39.5センチ、横56.5センチ)

     栃木は江戸時代、京都から日光東照宮への奉幣使が毎年通る例幣使街道の宿場町として、また、江戸へ通じる巴波うずま川の舟運の要所として栄えた。文化でも京都や江戸の影響を受け、江戸に追随するように狂歌文化が花開いた。歌麿は狂歌にも秀で、筆綾丸ふでのあやまるの狂歌名で作品を作っていた。この縁で栃木と関係を深めたと言われ、狂歌と挿絵を合わせた作品「狂歌絵本」の出版時には、栃木の狂歌師の歌をたびたび採用している。中でも、多くの歌を寄せたのが、豪商「釜喜かまき」の4代目・善野喜兵衛(狂歌名・通用亭徳成)だった。3部作の制作を依頼した伊兵衛のおいだ。喜兵衛との親交が3部作の制作につながった。

    ■肉筆浮世絵40点

     歌麿は、幼い頃から狩野派の鳥山石燕とりやませきえんに学び、安永4年(1775年)に挿絵画工としてデビューした。版元の蔦屋重三郎との出会いをきっかけに、版画や狂歌絵本、黄表紙、洒落しゃれ本の挿絵を精力的に発表。寛政期に入り、美人の上半身のみを描く大首絵おおくびえなど、新しい表現を用いた版画を世に送り出し、絶大な人気を集めた。文化3年(1806年)に世を去るまで手掛けた版画は、2000点以上にのぼる。

    • 大黒(右)と布袋が恵比寿の行事で相撲をとっている様子を描いた「三福神の相撲図」(縦82.3センチ、横39センチ)
      大黒(右)と布袋が恵比寿の行事で相撲をとっている様子を描いた「三福神の相撲図」(縦82.3センチ、横39センチ)
    • 「鍾馗図」は、唐の玄宗皇帝が病の時に夢に現れ、小鬼をとらえて治癒したとされる神鬼を描いた(縦81センチ、横27.5センチ)
      「鍾馗図」は、唐の玄宗皇帝が病の時に夢に現れ、小鬼をとらえて治癒したとされる神鬼を描いた(縦81センチ、横27.5センチ)

     一方、肉筆の浮世絵はわずか40作品ほど。複写できる版画とは異なり、1点ずつしか残っていない。栃木市では、このうち3点が発見されている。2007年に市内の民家で見つかった「女達磨図おんなだるまず」、市外に引っ越した別の民家で10年に発見された「鍾馗図しょうきず」と「三福神さんふくじん相撲図すもうず」だ。所在不明だった幻の大作「雪」が発見され、栃木市と歌麿の関係はさらに研究が進むと見込まれる。市文化課は「相互に影響を与え合った歌麿の生涯と栃木の町人文化の全体像が浮かんでくるのが楽しみだ」と期待を寄せる。

     ◇

    「雪」発見沸く地元 所蔵美術館と連携模索

     栃木市は、歌麿にちなんだ地域活性化に取り組んでいる。「品川の月」「吉原の花」の原寸大の複製画を庁舎に展示し、同時に、アートコーディネーターを雇用するなどして「深川の雪」の所在を追い続けてきた。発見を受け、所蔵する岡田美術館との連携を模索している。

     市は3点の肉筆画が市ゆかりの民家で見つかると間もなく購入を決め、「女達磨図」を500万円、「鍾馗図」と「三福神の相撲図」の2作を計1400万円で買い求めた。地元の美術館で度々公開している。

     2011年からは「歌麿まつり」を秋に開催。歌麿作品の世界を「おいらん道中」で再現し、市民がふんする花魁おいらんらが豪華けんらんな衣装で市内を練り歩いている。12年には「月」、13年には「花」の複製画を完成させた。

     09年度にはアートコーディネーターを雇用し、市民の研究会とともに「雪」の所在を探した。史実の洗い直し、情報を求めるチラシの配布などを続け、その活動はボランティア活動となって根付いた。

     それだけに、「雪」発見で地元は沸き、鈴木俊美市長は5月2日、岡田美術館に直接出向き、連携を訴えた。「栃木は歌麿の愛した街。PRイベントなどでは、ぜひ力を貸していただきたい」と申し入れると、小林館長は「3部作は栃木という地が生んだ傑作」と快諾した。まずは、歌麿に関する文書の研究で連携できないかを模索する。

    • 「歌麿まつり」で巴波川を舟で渡る花魁役たち(栃木市提供)
      「歌麿まつり」で巴波川を舟で渡る花魁役たち(栃木市提供)

     市は市内の民家に関連文書が眠っている可能性があるとして、古文書を解読する市民向けの講座を開催する予定。市文化課は「市民を巻き込んで活動を盛り上げたい。雪の発見後、岡田美術館で鑑賞してから複製画を見に来る人もいる。その逆もいて、3部作がそろった効果は大きい」とする。

     今後は、複製画や肉筆画3点を市内各所で分散展示し、回遊型の観光にもつなげることも検討する。

    2014年06月24日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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