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    「攻めろ」協会長方針に反発自分流

    男子レスリングメキシコ「金」金子正明さん73

    • メキシコ五輪のレスリング・フリースタイルフェザー級金メダル、金子正明さん(東京都千代田区で)=込山駿撮影
      メキシコ五輪のレスリング・フリースタイルフェザー級金メダル、金子正明さん(東京都千代田区で)=込山駿撮影

     東京での悔しさを胸に刻んで、レスリング男子の金子正明さん(73)は1968年、メキシコで遅咲きの金メダルをつかんだ。階級を変え、競技団体トップの意に反する戦法を貫くなど、妻子とともに道なき道を歩んだ競技人生。足利市から巣立った頭脳派レスラーが、五輪と向き合った日々を語る。(込山駿)

    ■64年東京に出場ならず <1964年10月、世田谷区の駒沢体育館で行われた東京五輪のレスリング。金メダル5個を獲得した日本勢の活躍を、24歳の金子選手は客席で観戦した>

     つらかったよね。体力も気力も、一番充実した時期の日本での五輪だったから。僕はバンタム級(57キロ以下)の代表選考の最終予選で、群馬県出身で二つ年下の上武(現・小幡)洋次郎に1ポイント差で敗退していた。その上武が金メダル。「俺が出ても優勝だった」と感じたけど、仕方ない。負けたんだから。

     最終予選の1か月前まで40日間、ソ連(現・ロシア)など5か国を回る海外遠征に出た。7~8キロの減量をし続けて11試合をこなした。日本レスリング協会が組んだこの遠征に、米国留学中の上武は参加せず、帰国して最終予選だけ出場した。1~4次予選で優勝していた僕には、勝負時に自分の最高の状態を整えられなかった悔いが残った。

    ■練習も自分で考案 <アマチュア格闘家の競技寿命が今よりも短かった時代。28歳で迎えるメキシコ五輪を目指すべきか、3か月間ほど悩んだ>

     結局は、マットに戻った。そして、やるからには全て自分の思う通りにやろうと心に決めた。

     まず僕はフェザー級(63キロ以下)に1階級上げた。3~4日も絶食して、夜に水を1滴も飲めないような減量をしていては力が出ないから。当時、周りの誰もやらなかったウエートトレーニングで筋肉をつけた。バーベルを5回挙げては休むのを5セット、週に2~3日だけ。疲れを残さないやり方を自分で考え、約1年間で体を作った。

    • 足利織姫神社の階段。トレーニングする人たちに“片側通行”を呼び掛ける注意書きも
      足利織姫神社の階段。トレーニングする人たちに“片側通行”を呼び掛ける注意書きも

     足腰の強さは、高校時代に足利織姫神社(足利市)で長い石段(229段)を3年間毎日10往復して培っていた。これに上体の力もついたから、フェザー級では外国人にも力負けしなかった。66、67年の世界選手権を連覇し、自信もついた。

     <当時の日本レスリングは、協会の八田一朗会長の方針で、攻撃重視を貫いていた。そんな中で、金子選手は異端児だった>

     専修大時代から、僕は防御と試合運びを重視するスタイルを築いてきた。事前に相手の戦法をよく見て分析し、序盤は守る。相手が疲れてくる中盤以降に返し技と寝技で勝負した。「タックルで倒し、始めから終わりまで相手の上になって攻めろ」というのが“八田イズム”。でも、人間の全力はせいぜい45秒しか続かないし、攻撃は防御の2倍ぐらい力が要る。少なくとも僕には無理があった。

     「攻めないヤツは日本のレスラーじゃない」と圧力を受けたけど、メキシコ五輪の約2年前に八田さんを丸め込めた。67年1月、妻の三鈔子との結婚式で、仲人をお願いした。参院議員でもあった八田さんは断らなかった。仲人になると、僕を一切批判しなくなった。

    ■大舞台で狙い通り <68年10月、ついに五輪へたどり着いた>

    • メキシコ五輪・レスリングのフリースタイル・フェザー級。金子正明選手(上)がメキシコ人選手にフォール勝ちで初戦を突破(1968年10月、メキシコ市で)
      メキシコ五輪・レスリングのフリースタイル・フェザー級。金子正明選手(上)がメキシコ人選手にフォール勝ちで初戦を突破(1968年10月、メキシコ市で)

     自信を持ってメキシコに乗り込んだ。フォール勝ち三つを含む5連勝で、3選手による最終日の決勝リーグに進んだ。

     決勝で僕は昼の部の試合はなく、夜の部で2連戦。標高2000メートル以上の高地だけに厳しい状況だったけれど、1試合目はあまり力を使わずにブルガリアの選手と引き分けた。蓄えた力を2試合目で爆発させ、12―4の大差をつけてイランの選手に判定勝ち。狙い通り、1勝1分けで優勝した。

     <悲願の優勝を遂げ、勝負師は表彰台の真ん中に立った>

     あそこで聴く君が代は最高。達成感で涙が出た。

     自分流で取った金メダルとはいえ、そのやり方をコーチは認めてくれたし、練習相手にも恵まれた。五輪の半年前に長女が生まれたのに、夜泣きに悩まず熟睡できたのは、女房が表へ出てあやしたり、気を使ってくれたりしたから。帰国して、三鈔子には「金メダルは半分、お前にやるよ」と伝えた。五輪は一人では勝てないとも実感している。

     <7年後、再び東京五輪が行われる>

     感慨深いね。多くの金メダルを期待する。人の言いなりではなく、自ら考えて戦う若手に出てきてほしい。

     金子正明さんの母校・足利工高レスリング部の小林伊織主将(17)と勅使河原稜太選手(17)(2年)

     「金子さんと、ロサンゼルス五輪銀メダルの長島偉之先生(現・足利工教諭)の後輩部員であることをすごく誇りに思っています。長島先生からは指導も受けています」

     「9、10日の新人戦では、自分たち2人を含む5人の部員が各階級の県チャンピオンになれました。それ以上にうれしかったのは、団体戦で数十年歯が立たなかった足利工大付を6―1で破り、優勝できたことです。今年度で定年を迎える長島先生を胴上げし、恩返しすることができました」

     「一生懸命練習すれば、もっと強くなれると信じています。2020年東京五輪開催が決まった時は『見たい』でしたが、最近は『出たい』に変わってきました」

     かねこ・まさあき 1940年7月8日、足利市出身。足利工業高でレスリングを始め、専修大を経て自衛隊体育学校へ。64年東京五輪は出場ならず。フェザー級に階級を上げた4年後のメキシコ五輪で、当時としては珍しい「28歳妻子持ち」の金メダリストになった。引退後は陸上自衛隊の幹部に出世し、47歳でフジテレビの役員秘書へ転身。定年後の61歳からビル管理会社に勤務し、今も現役ビジネスマンとして活躍している。東京都調布市在住。身長1メートル72。

    2013年11月24日 00時02分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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