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    女子陸上 先駆け

    走り幅跳び メルボルン代表 浜松ヨシ江 さん82

    1950年代男子ばかりの大学で開花

    • 浜松ヨシ江さん
      浜松ヨシ江さん

     新聞で、テレビで、今やスポーツニュースに女性アスリートの存在は欠かせない。だが、半世紀前は少し事情が違っただろう。女子走り幅跳びで、1956年のメルボルン五輪に出場した浜松ヨシ江さん(82)(旧姓・高橋、東村=現前橋市出身)。恵まれた競技環境ではなかったが、まっすぐ夢を追い、後進のための道も切り開いてきた先駆者だ。

    (佐野司)

    • 陸上競技の代表選手たちと記念撮影をする浜松さん(前列右、1956年、メルボルンで)(本人提供)
      陸上競技の代表選手たちと記念撮影をする浜松さん(前列右、1956年、メルボルンで)(本人提供)

    ■中央大へ <45年の終戦時は13歳。旧制前橋高等女学校(現前橋女子高校)に入学した直後だった。空襲で校舎が焼け、がれきの横で練習に励んだこともある>

     前橋は、理化学研究所の施設があったからよく狙われたんです。実家で田植えを手伝っていた時、米軍機の機銃掃射を受けたこともありました。水を張った田んぼをバシャバシャと走り、必死に逃げ出したことを覚えています。本当に怖かった。

     終戦になると、陸上部の仲間たちと焼け跡のグラウンドを整備しながら活動を再開しました。食べ物も、着る物も苦労したけれど、大好きな走り幅跳びを思う存分できるのが何よりうれしかった。記録もどんどん伸び、高校3年で出場した日本選手権で3位に入ったんです。

     <その素質に、女子陸上部を発足した中央大が目をつけた。熱心に勧誘を受けたが、当時の女子の4年制大学への進学率は約2%(2013年度は45・6%)。周囲は猛反対だった>

     田舎だったし、女の子が東京の大学に行くなんて考えられない時代です。「大学に行きたい。勉強も陸上も続けたい」。そう訴えても、周囲の大人は「都会に行くとだめになる」「生活も大変なんだから地元で就職すれば」と認めてくれませんでした。でも、親族会議で父親(新平さん)だけが「女の子でもしっかりとした教育を受けさせてやりたい」と言って、みんなを説得してくれた。私の人生の大きな転機で、本当に感謝しています。

     <中大で専門指導を受けるとその才能が一気に花開く>

     順調に記録を伸ばし、大学4年時にフィリピンで開かれたアジア大会で優勝しました。マニラの空に掲げられた日の丸を見たとき、初めて世界を意識したんです。実業団の誘いを断り、卒業後も事務職員として大学に残りました。練習環境もいいし、本当に大学が好きだったんですね。後輩たちと切磋琢磨せっさたくまして、24歳で五輪に出ることができた。進学を決断して本当によかったと思います。

    • 1954年の日本インカレを制し、表彰台に立つ浜松さん(中央大陸上競技史より)
      1954年の日本インカレを制し、表彰台に立つ浜松さん(中央大陸上競技史より)

    ■国際舞台 <56年メルボルン大会は、初めて南半球で開催された五輪。終戦から10年が過ぎたとはいえ、夢舞台で見聞きするすべてが華やかで、刺激的に映った>

     国際試合の経験がほとんどなかったので、重圧や緊張を感じるというより、ずっと興奮しているという感じでした。選手村はとにかく独特の雰囲気で、出てくる食事もおいしいものばかり。「ついにオリンピックの舞台に来たんだ」という、ふわふわした感覚から抜け出せずに試合に向けての調整に失敗してしまいました。経験の浅さがてきめんに出てしまいましたね。

     <記録は、自己ベストの5メートル93に遠く及ばない5メートル68。予選突破には2センチ足りなかった>

     いつもより、体が重く感じました。練習の時から欧米の選手たちの迫力に圧倒されて、雰囲気にのまれている部分もあったと思います。予選落ちだから3回しか跳べなかったのが何より悔しい。何度か跳ぶうちに感覚が分かってくるから、決勝に進めればもっと記録は伸びたと思うんです。身体能力はピークだったかもしれないけれど、精神面はまだまだ未熟でしたね。

    • 2012年の関東インカレで表彰台に立った中大の後輩たちと記念撮影する浜松さん。現在も関東学連の役員に名を連ね、大会運営などに携わっている
      2012年の関東インカレで表彰台に立った中大の後輩たちと記念撮影する浜松さん。現在も関東学連の役員に名を連ね、大会運営などに携わっている

    ■今も現役 <その後、中大女子陸上部の監督、日本陸連女子委員長(当時)などを歴任。強化指導だけでなく、女性アスリートの競技環境の向上に尽力した>

     今だから話せますが、メルボルンでは生理による体調の変化にも悩まされました。現在は薬などでコントロールすることも可能ですが、当時はそんな知識も、相談できる指導者もいなかった。女子委員長の時は、こうした女性的な問題のほか、拒食症や過食症などの摂食障害、過剰な減量による疲労骨折などの改善に努めました。

     <傘寿を迎えた現在も、東日本マスターズ陸上競技選手権大会に出場している>

     一人でスタート地点に立ち、持てる力すべてをぶつける陸上の醍醐だいご味。何歳になっても、「ああ、この感覚だ。やっぱりいいなあ!」と実感します。今年ももちろん出場しますよ。大会が近づいてきたら、母校のグラウンドで後輩たちと練習するつもりです。

     はままつ・よしえ 1932年4月15日、東村(現前橋市)の農家に生まれる。5人きょうだいの4番目。中大では、1953、55、56年と3度、日本選手権を制した(55、56年は大学職員)。中大職員時代の同僚だった夫と死別し、現在は東京都調布市内の施設で暮らす。最近は、新たな趣味として始めた詩吟に凝っている。「去年は『一度でいいからオーロラが見てみたい』と思い立って、友達を誘ってカナダに行ってきたの。あとどれくらい生きられるか分からないけれど、とにかくチャレンジしながら生きていきたい」と笑う。

    東京出場できたらうれしい/

    • 県高校総体を大会新記録で優勝した国学院栃木・神山綾音さん(17)(12日、宇都宮市の県総合運動公園陸上競技場で)
      県高校総体を大会新記録で優勝した国学院栃木・神山綾音さん(17)(12日、宇都宮市の県総合運動公園陸上競技場で)

    12日に行われた県高校総体・女子走り幅跳びで、大会新記録で優勝した国学院栃木高3年・神山綾音さん(17)

     「冬の間、200~300メートルある坂道を全力で走るトレーニングを続け、下半身の強化に取り組んできました。12日の県高校総体では、その走り込みが功を奏して、5メートル77の大会新記録が出せて本当にうれしいです。大学でも走り幅跳びを続けるので、もっと記録を伸ばしていきたいです」

     「東京五輪の開催を知ったとき、『見に行きたいなあ』という思いでしたが、浜松さんのように、出場できたらうれしいです。目標は、北京五輪にも出場した井村(旧姓・池田)久美子さんです。井村さんのように、力強い跳躍ができる選手になりたい。そのためにも、これからも走り込みを続けていきたいと思います」

    2014年05月18日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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