台所や柱に宿る神様 芳賀・水沼家のお飾り
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民俗文化が危機に
「新年の願いはただ一つ。家族皆が健康で仲良く暮らせますように」。昨年12月30日、芳賀町東高橋の自宅の神棚に真新しいしめ縄を張り、鏡餅を供えると、水沼
同12月26日、江戸中期に建てられた水沼宅では、妻の啓子さん(69)がカマドから蒸したてのもち米を運んでいた。宙宏さんが
鎌倉時代から続くとされ、名主も務めた水沼家。築270年以上を経た家では、屋内で神棚のほか、台所、カマド、
正月飾りも自分で作る。しめ縄に使うワラを用意するため、丈の長い「古代米」を栽培している。門松に使う松も竹も、自宅で切り出している。しめ縄は、綱を編みながら、途中ワラを編み込み、
自宅中心にある茶の間の神棚では、大神宮(天照大神)、氏神、その他崇敬する神々を祭る。正月は、約3メートルのしめ縄を張り、タラヨウの葉とミカン、鏡餅を3組供える。同様のしめ縄で、自宅の門も飾り付ける。タラヨウの葉のように冬でも青々としている常緑樹は、昔から「
門松づくりは、約2時間もかかる大変な作業だが、近くに住む孫2人が手伝いに来て、宙宏さんはうれしそうだ。
門松を飾り終えると、宙宏さんは「しめ縄は、祈りを込めて編んだ。門松もまずまずの出来だ」と満足げだった。
神棚のしめ縄飾りや門松は、古くから年神を迎える
ただ、柳田の時代でも既に国民の間で、だいぶ前から判然としなくなっていたとも指摘しており、宙宏さんも「年神様の話は、家では聞いたことはないな」という。
宙宏さんは、父俊法さん(故人)から家を継いだ。「昔は、古い家に縛られず、好きに生きたいとも思ったが、長男だからあきらめていた」と若い頃を振り返る。だが、今は違う。長い歴史の中、水沼家は火災にも雷にも見舞われなかった。「家を守り、豊かな土地と清い水を残してくれた先祖には感謝しかない。連綿と続くものを、次の世代に渡すのが私の役目。土地に縛られる生き方が、今は誇りです」と胸を張る。
年神という言葉は失われても、水沼家では家族と先祖の絆が現代も脈々と生き続けていた。