完了しました


かつて一世を
ちょいと出ました 三角野郎が 四角四面の やぐらの上で――。今月6日、足利市福居町の「市八木節会館」に八木節団体の有志が稽古に集まり、太鼓、鼓、笛の軽快なお
「八木節は、爽快なリズムと、自由に文句(歌詞)をつけられるのが魅力。心躍る陽気なテンポに、力強い歌声は、ロックみたいです」。同会館の羽川照男館長(72)が笑う。八木節には決まった文句がなく、人々は七七調の文句をつなぎ、数々の唄を生み出してきた。郷土の誉れ足利尊氏を歌った「太平記」、江戸時代の
八木節の発祥には諸説あるが、県内では、足利市堀込町で生まれ育った渡辺源太郎(初代堀込源太)(1872~1943年)が生み出したとされる。
初代は、現在の足利市南部の福居町にあった例幣使街道の八木宿を中心に荷馬車を引く馬方で、歌いながら街道を歩いたという。各地の盆踊り唄を取り入れ、自分流にアレンジし八木節を完成させた。美声が評判を呼び、大正初期にレコード化されると、人気は全国区になり、東京・浅草に進出して活躍した。
関東大震災(1923年)を機に活動拠点を地元に戻すと、近隣の埼玉や群馬での公演が増えた。群馬では熱狂的支持を受け、各地に招かれ、弟子入り志願者も殺到した。国定忠治など群馬ゆかりの曲も有名になり、群馬県桐生市の「桐生八木節まつり」は、3日間で50万人以上が訪れる一大イベントとなった。
初代堀込源太の出身地・足利市でも、八木節は愛される。1979年に結成された市八木節連合会には現在、18団体約300人が所属する。定期大会を開き、子どもたちに指導し、保存・普及活動に力を入れる。
初代のひ孫・渡辺一利さん(49)は現在、7代目を目指し、6代目の下で稽古に励む。渡辺さんは八木節と無縁だったが、しきりに誘ってくれた5代目が6年前に急逝したのを機に足利の八木節を受け継ぐ決意をしたという。
新型コロナの影響で、発表や指導の機会が減り、八木節の衰退を懸念する声も多い。しかし、渡辺さんは「ひいおじいさんに始まり、大勢の思いがつながって八木節は100年続いてきた。たかだか2年のコロナ禍には負けない。来年の盆は、多くの人と八木節を歌って踊れるよう、しっかり練習してもっとうまくなる」と意気込んでいる。(おわり。井上暢)