渋沢の足跡県内にも多数 紙幣刷新歓迎の声
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書や功績振り返って

2024年度をめどに紙幣が刷新されることが9日、発表された。新しい1万円札の肖像に使われる実業家の渋沢栄一は県内にも多くの足跡を残しており、関係者から歓迎の声があがった。
■日光東照宮
幕臣だった渋沢は、徳川家康の遺訓「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくがごとし」が経営哲学だったとされる。
1915年(大正4年)の日光東照宮300年祭では、奉斎会会長を務めて大祭を取り仕切った。自ら
日光東照宮の稲葉尚正権宮司(50)は「渋沢翁は近代日本だけでなく、東照宮をもり立ててくれた恩人。その功績に再び光が当たり、大変うれしく思っている」と喜んでいた。
■足尾銅山
渋沢は、日光市の足尾銅山などを経営した古河市兵衛(1832~1903年)と親交があった。
かつて銅山で栄えた日光市足尾町にある「古河足尾歴史館」名誉館長の長井一雄さん(78)は「渋沢と古河は、銀行経営や事業などを通じて友人関係を築いた」と話す。
足尾銅山の経営も当初は鉱脈が見つからず、長井さんは「陸奥宗光が海外の技術、そして渋沢が人材を提供しなければその後の繁栄はなかった」と指摘し、「今後も来館者には偉人の足跡や歴史を伝えていきたい」と話した。
■足利学校
論語や儒学に造詣の深かった渋沢は、孔子を祭っている足利学校(足利市昌平町)にも足跡を残した。
史跡足利学校事務所の大沢伸啓所長(59)によると、渋沢が同学校を訪れたのは1910年(明治43年)6月4日のこと。前日には群馬県桐生市で織物工場などを視察しており、足利市でも織物関係の施設を見る合間に、同学校に足を運び、当時隣接していた小学校の講堂で講演も行った。
来訪の記念に渋沢は、「天之未喪斯文也(天がこの文化を滅ぼさないならば)」という論語の一節を書き残していた。大沢所長は「こうした機会に、足利学校所蔵の資料から渋沢の業績を振り返ってもらえれば」と期待していた。
■柳林農社
真岡市柳林には渋沢らが設立した会社の跡地があり、注目されそうだ。
1874年(明治7年)に創業した「
田上富男教育長は「身近なところに残る偉人の足跡を学ぶことで、子供たちの真岡への愛着が増す。『今まで知らなかった真岡を知る』という教育目標を掲げており、早速、電子黒板で使用できる教材を作って子供たちに知らせていきたい」と述べた。
藤の名所も喜び 新5000円札
新5000円札の裏面には藤の花が印刷される。
毎年春に、350本以上の藤が咲き誇る名所としても知られる「あしかがフラワーパーク」(足利市迫間町)の広報担当者は「これをきっかけにさらに藤の花に注目が集まればありがたい」と歓迎していた。