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ドイツ兵捕虜の慰霊碑の手入れをする高橋さん(左)と妻文子さん(鳴門市で)
ドイツ兵捕虜の慰霊碑の手入れをする高橋さん(左)と妻文子さん(鳴門市で)

 ◇捕虜の慰霊碑守る 高橋敏夫さん81

 鳴門市大麻町の板東俘虜収容所跡地に整備されたドイツ村公園の一角に、収容中に病気などで亡くなったドイツ兵捕虜11人の名を刻んだ慰霊碑がある。その慰霊碑を「第九アジア初演100年」の6月1日、来日した元捕虜の孫ら25人が訪れる。父母の代から70年慰霊碑の管理(墓守)を続ける近くに住む高橋敏夫さん(81)に感謝の意を伝える。高橋さんは「慰霊碑が世代を超えた交流の懸け橋になった。手入れしてきたかいがあった」と語った。

 高橋さんは、1936年に朝鮮半島で生まれ、第2次世界大戦が終わった45年に帰国。収容所跡地の一部を利用した引き揚げ者住宅に移り住んだ。48年、薪を拾いに行った母春枝さんが裏山で生い茂った雑草に隠れていた古びた石碑を見つけた。

 碑文からドイツ兵の墓だとわかった。父敏治さんは、旧ソ連のウズベキスタンで抑留された際、ドイツ兵が看病してくれた経験を思い出し、「先祖のつもりで供養しよう」と墓守を始めた。

 誰にも知られることなく供養を続けていたが、60年頃に報道されて世間に知られるようになり、やがてドイツでも報じられた。元捕虜たちは感謝状を贈り、墓参りにも訪れた。敏治さん夫妻の取り組みから、日独の友好関係を深めようという機運が高まり、74年に鳴門市とリューネブルク市が姉妹都市提携を結んだ。

 敏治さんが98年、春枝さんが2003年に亡くなった後、高橋さんは「守り伝えなければらない」と妻文子さん(76)とともに遺志を継いだ。足腰が弱くなり、墓の手入れもつらいと感じる年齢になったが、今も週に一度花や線香を供える。

 高橋さんの墓守は、元捕虜の子孫にも語り継がれている。今回来日する孫らは高橋さんに会って感謝の意を述べた後、慰霊碑に献花するという。高橋さんも孫らに伝えようと思っている。「命がある限り、慰霊碑の前で手を合わせて平和を祈ります」

 ◆収容所 自由な環境

 第九の演奏と合唱は、第1次世界大戦中の1918年6月1日、鳴門市大麻町の板東俘虜収容所で、ドイツ兵捕虜によって披露された。

 収容所は17年に設置、20年までに約1000人のドイツ兵が収容された。当時の松江豊寿所長は捕虜を人道的に扱い、畜産やパン作り、スポーツ、芸術など様々な活動を認めた。また、住民との交流も盛んに行われた。

 自由な環境の中で、捕虜たちは「徳島オーケストラ」を結成。合唱団員80人を含む約130人が「歓喜の歌」を響かせた。このほか「エンゲル・オーケストラ」と「シュルツ・吹奏楽団」も結成され、3楽団で100回以上の演奏会が開かれた。

 しかし、収容所が閉鎖されて以降、第九の演奏を受け継ぐ活動はみられなかった。72年に開設された鳴門市ドイツ館の調査で、第九の「アジア初演の地」であることがわかり、市は82年、6月1日を「第九の日」と定め、毎年この時期に、市民が参加して第九を歌うイベントが行われるようになった。

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23090 0 語り継ぐ、歌い継ぐ 第九アジア初演100年 2018/05/24 05:00:00 2018/05/24 05:00:00 ドイツ兵捕虜の慰霊碑の手入れをする高橋さん(左)と妻文子さん(鳴門市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180523-OYTAI50021-T.jpg?type=thumbnail

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