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戦時下の友好 証し伝え

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「収容所の歴史を世界に伝えたい」。資料を示しながら話す森さん(鳴門市で)
「収容所の歴史を世界に伝えたい」。資料を示しながら話す森さん(鳴門市で)

 ◇鳴門市ドイツ館の館長 森清治さん51

 板東俘虜ふりょ収容所跡地近くに立つ鳴門市ドイツ館では、捕虜と地元住民の交流や第九初演のエピソードが語り継がれる。館長の森清治さん(51)は「第1次世界大戦で敵対する中で、これほどの友好関係を築いた収容所は他にはない」と強調する。

 森さんは徳島市出身。立正大で考古学を学び、文化財の保護に携わろうと、1993年、鳴門市教育委員会に就職した。文化財担当として20年近く発掘調査や学術調査などに携わった。

 収容所の歴史は知っていたが、鳴門とドイツの深い関わりを初めて知ったのは2001年に行った「ドイツ橋」と呼ばれるアーチ形の石橋の学術調査だった。

 ドイツ橋は1919年、収容所近くの大麻比古神社の境内で、捕虜たちが造った。調査で、地元住民への感謝の気持ちを込め、母国の土木技術を生かしたことや、ドイツ人が設計して造った日本で唯一の石橋だったことなどがわかった。

 収容所ではドイツ人捕虜が人道的に扱われ、スポーツや芸術活動、住民との交流など様々な自由が認められた。森さんはこうした対応がドイツ橋の建設につながったと考えた。「今に残るドイツとの交流の証しを文化財として残したい」

 文化財として認めてもらうため、重要な建築物であることを示す資料をかき集め、2002年に市の指定文化財、04年に県指定文化財への登録を実現した。

 収容所の生活への関心はさらに強くなった。07~11年度に行った調査では、パンを焼くれんが造りの窯を発掘。また、約100年前に捕虜が作った測量図を基に、兵舎や倉庫、パン小屋など建物の位置を特定した。

 「戦時中に、ドイツ人捕虜が敵国で自由な生活を送っていたことを想像しながら調査にあたった」と森さん。親交を深め合ったからこそ、第九の初演も実現したことを実感した。

 現在、県と鳴門市、ドイツ・ニーダーザクセン州などは、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に共同申請する準備を進めている。16年4月にドイツ館長となった森さんも、申請に向け、所蔵する約700点の資料を精査している。

 「戦争という悲しい出来事の中で残された資料だが、平和を実現するためにも、収容所の歴史を世界中に伝えたい」

(おわり。この連載は三味寛弥、古市豪が担当しました)

 

 <鳴門市ドイツ館> 板東俘虜ふりょ収容所のドイツ兵捕虜が、日本兵や地元住民と交流した歴史を紹介する施設。市が1972年に開設し、93年に現在の場所に移転した。外観は市の姉妹都市であるリューネブルク市庁舎を模している。第九初演の公演プログラムや捕虜が使用した楽器、当時の写真など約700点の資料を所蔵。

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23497 0 語り継ぐ、歌い継ぐ 第九アジア初演100年 2018/05/27 05:00:00 2018/05/27 05:00:00 板東俘虜(ふりょ)収容所に関する資料の整理にあたる森さん(鳴門市ドイツ館で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180526-OYTAI50007-T.jpg?type=thumbnail

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