<下>剛腕発揮 躍進のカギ
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◇弱気克服目指す 上原諒大投手
徳島大会で優勝を決めた瞬間、鳴門ナインは指を突き立て、マウンドに集まって喜びを爆発させた。その輪の中、「俺はみんなに甲子園に連れて行ってもらう立場」。上原諒大だけは気持ちが少し晴れなかった。
恵まれた1メートル79、85キロから、150キロ近い速球を繰り出すチームで一番の剛腕。しかし、エースの座は2年の西野知輝に譲って背番号は10。「3年生の僕がチームを引っ張らないといけないのはわかっているんですけど」と申し訳なさそうにうつむく。上原の弱点は、この気持ちの弱さだ。
「大会が近づくと心臓がバクバクして押しつぶされそうだった」。迎えた徳島大会、出番は初戦の城南戦。1点リードの八回二死一、二塁、「何とかしなければと思うほど球が上ずった」と一死も取れず、打者6人に4安打を許し、2四球を与えて3失点で降板した。
それでも監督の森脇稔(57)は、上原の力をあきらめきれない。準決勝の富岡西戦は、2点リードの七回、逃げ切りを図ってマウンドへ送る。ところが上原は、ここでも背信。送りバントの処理による一死を取っただけで、2安打を浴びて1四球を与え、チームはこの回に4点を失い、さすがの森脇も「これがあいつの実力」と吐き捨てた。
徳島大会決勝翌日の27日、鳴門高校のグラウンドには甲子園に出場したOBが招かれ、上原に切々とマウンドでの心のあり方を説いていた。その様子を心配そうに見守る森脇。チームには上原に頼らざるを得ない事情がある。決勝戦を2失点で完投した西野はひじ痛からの復調途上で、直球は130キロ前半と万全ではない。
「県大会には負けられない重圧があるけど、甲子園は楽しむだけやからね」と森脇。奮い立たせようとしたのは、上原だけではなく、起用する自分だったのかもしれない。右腕が本来の力を発揮した時、チームにとって68年ぶりの決勝戦や、初の頂まで見えてくる。(敬称略、この連載は三野槙子、古市豪が担当しました)