鍛冶屋原線 記憶つなぐ

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鍛冶屋原線の「ラストラン」の写真
鍛冶屋原線の「ラストラン」の写真

廃線50年 上板で企画展

ラストラン写真、記念切符など

 かつて板野町と上板町を結んだ旧国鉄 鍛冶屋原かじやばら 線を写真や資料で振り返る企画展が、上板町立歴史民俗資料館で開かれている。廃線から今年で50年。惜しまれながら姿を消した鉄道の「最後の日」など、時代の空気をありありと伝えている。(辰巳昌宏)

 大正時代に阿波電気軌道(阿波鉄道)が路線開業。国有化後の1935年に高徳線が全通し、板野(当時は板西)―鍛冶屋原間の6・9キロが鍛冶屋原線として支線になった。

 太平洋戦争中はレールが供出され、運行休止に。戦後に復活したが、国鉄のバス路線と競合し自動車の普及もあって乗客が減少した。

 沿線住民による廃線反対運動も起きたが、国鉄民営化の15年前、72年1月16日に廃線となった。

 企画展では、廃線前日の1月15日に行われたラストランの写真を中心に展示している。

 鍛冶屋原駅に停車する赤とクリーム色の板野行き上り列車で、先頭車両には「さようなら 鍛冶屋原線」と書かれたヘッドマークの飾りと日の丸が写る。

 手を振って別れを惜しむ沿道の人や小学生の記念乗車で満員の車内、花束を受け取る乗務員、駅に掲げられた営業停止の看板など当時の雰囲気を伝える写真が並ぶ。

 説明文によると、ラストランは区間を2往復し、地元の小学生や住民ら約600人が乗車。県内外から鉄道ファンが詰めかけ、記念切符などを買い求める人が殺到したという。

 上板町史は激動の歴史に触れ、「人々の哀歓を乗せて、人々と共に歩んできた鉄道といえよう。『さよなら』列車の さび しい警笛は、沿線に見送る人々の涙をさそった」とつづっている。

 写真だけでなく、実際に使われていた車両プレートや駅員らの制服・腕章、記念切符、切符に切り込みを入れるパンチなどを展示。元運転士が思い出を語るインタビュー映像も上映されている。

 また、廃線と同じ72年に発売された歌手・郷ひろみさんのデビュー曲「男の子女の子」などのレコードも並べており、50年前にタイムスリップしたような感覚になる。

 鉄道マニアという広島県福山市の吉田敬さん(56)は「他の鉄道に比べて廃止時期が早いにもかかわらず、多くの資料が散逸せず残っており、貴重だ。早く生まれていれば乗ってみたかった」と話していた。

 鍛冶屋原線跡は現在、そのほとんどが県道12号(鳴門池田線)に姿を変えている。沿道にはコンビニや飲食店が並び、高松道・板野インターチェンジへつながる主要道路となっている。

 区間内にあった犬伏、羅漢、 神宅かんやけ の3駅のうち、神宅駅の跡地は公園とバス停に。上板町教育委員会が道路の隅に建てた石碑だけがその場に鍛冶屋原駅があったことを示している。

 資料館の西川美保子学芸員(32)は「線路の跡は幹線道路に様変わりし、鍛冶屋原線の存在を知らない世代が増えた。廃線50年の節目に、地域に鉄道があったことを知ってもらいたかった」と話す。

 企画展は30日まで。月曜休館。入館無料。問い合わせは同資料館(088・694・5688)。

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