文豪がこだわりの改装施した豪農の屋敷 吉川英治記念館  

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◆ 吉川英治記念館

 梅の里を走る吉野街道から山並みに向かう路地に折れ、すぐ右手の長屋門をくぐると、どっしりした切妻屋根の木造2階建ての屋敷が見える。文豪の吉川英治(1892~1962年)はここを「草思堂」と名付け、1944年から約10年を過ごした。

 もとは吉野村(当時)の豪農の邸宅だった。約5600平方メートルの敷地には庭園や土蔵、井戸がある。青梅の養蚕民家に見られた換気用の煙出しが母屋の棟に三つ並び、都の近代和風建築総合調査では「明治初期に建てられた可能性が高い」とされた。吉川がいた頃は杉皮ぶきだった屋根は、81年に銅板ぶきに改装されている。

 母屋の奥には、木造平屋の洋館の離れもある。洋館と母屋との間は、吉川によって数寄屋風の渡り廊下が増築された。記念館を所管する青梅市文化課の北村和寛課長は「吉川は屋敷にいろいろ手を加え、そのこだわりは、随筆集『折々の記』の『ぼくのいなかや』から読み取れる」と明かす。

 それによると、母屋の正面右寄りにあった蚕室部屋などを応接室に改装し、奥側は床を張って台所に。ほかにも、母屋の縁側の開口部をガラス戸にしたり、長押(なげし)の釘(くぎ)隠しを梅の花の装飾に替えたりしている。

展示施設のロビーには画家の杉本健吉が描いた吉川の肖像画が飾ってある。大谷石と和の意匠が落ち着いた雰囲気を醸す

 公益財団法人「吉川英治国民文化振興会」が77年、屋敷の背後にある高台に吉川の直筆原稿やノートなどの展示施設を建設して開館した。ホールがガラス張りの展示施設は、東宮御所などを手がけた谷口吉郎の設計。大谷石の壁と、天井や椅子などに見られる和の意匠が美しい。

吉川が「新・平家物語」を執筆した部屋と奥座敷との境にある梅の花の釘隠しについて話す北村課長。手前にあるのは吉川が使っていた机

 青梅市が同会から運営を引き継いで2020年9月に再オープンして以降、原則非公開だった屋敷の見学が可能になった。吉川が「新・平家物語」を執筆した西側の10畳の座敷には、当時の机がそのまま残っている。明治期の趣が残る空間で、文豪が創作を重ねた情景に思いをはせるのも、一興だ。(鈴木章功)

 ◎青梅市 吉川英治記念館
 落成年 不詳(母屋)、1976年(展示施設)
 設計者 不詳(母屋)、谷口吉郎(展示施設)
 所在地 青梅市柚木町1の101の1

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使い方
2560137 0 企画・連載 2021/12/01 13:30:22 2021/12/01 23:52:07 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/11/吉川英二メーン-e1638266771255.jpg?type=thumbnail

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