「ツリーの灯りを心のよりどころに」 2人の技術者が挑んだライティングの進化[連載・ツリーとともに](6)
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「心がやられっぱなしだったけど、気分転換できました」「夜空に凜(りん)と立つツリーに慰められています。キレイ…ありがとう」
2020年2月27日夜、東京スカイツリーの新しいライティングが点灯すると、すぐさまSNS上でツリーの画像が拡散された。新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、気軽に外出できないムードが漂う中、癒やしを求める人々から感謝のメッセージが相次いだ。
今回の刷新では、投光器が347台増設されて2362台となり、ツリー全体の輝きが増した(写真右、いずれも東京スカイツリー提供)。従来の静止したライティングに加え、映像のような躍動感のある光のショーも楽しめるようになった。
12年の開業以来初めてとなる抜本的なリニューアル。その裏には、5年の歳月をかけ、数々の難題を乗り越えた2人の技術者の奮闘があった。
「羽田までツリーの光を届けたい」
ツリーは開業時、避難スペースがある150メートル付近と250メートル付近、アンテナ設備がある最上部のゲイン塔の一部に投光器を設置しなかった。華麗なライティングは人々の目を楽しませたが、まもなく「暗い部分が目立つ」との声が寄せられるようになった。
翌13年9月、東京五輪・パラリンピックの開催が決まると、ツリーの運営会社は、ライティングの刷新を検討し始める。世界中の注目を浴びるスポーツの祭典は、ツリーを全世界にアピールする絶好の機会だ。海外からやって来る外国人は東京の玄関口・羽田空港(大田区)に到着する。「羽田までツリーの光を届けたい」。そう考えた運営会社は、ツリーの照明を担当してきた日建設計の篠原奈緒子さん(42)と、パナソニックの上田泰佑さん(35)の2人に白羽の矢を立てた。
夜空の星々から着想 淡くも力強い輝き

ツリーから羽田空港までの距離は約18キロ。しかし、高さ634メートルの塔頂部の光は当時、7キロ先までしか届かなかった。
羽田空港から見えるようにするには、光の強さを約30倍に増強する必要があるが、従来の塔体を照らす方法では難しかった。そこで篠原さんが思い浮かべたのは、はるかかなたから光を放つ夜空の星々。「ツリーの灯(あか)りが光り輝く星々の一つになり、人々の心のよりどころになれば」と考えた。
上田さんらは、2枚のレンズを組み合わせ、光が拡散せずにピンスポットのように伸びる投光器を採用。雷や地震の強い揺れに耐えられるよう改良を加えた。近隣住民がまぶしく感じないよう、照射角度の調整を繰り返した。
19年9月25日夜、篠原さんは上田さんやツリーの従業員らと羽田空港の展望デッキに集まった。塔頂部に取り付けた新しい投光器の初の試験点灯。はっきり見えるか気がかりだったが、蛍の光のような、淡くも力強い輝きが闇夜に浮かんだ。周囲で歓声が上がるなか、篠原さんは充実感に浸った。
「ダサくなった」なんて言わせない! 動くライティング


動くライティングも一筋縄ではいかなかった。新たなライティングのデザインは「そよ風にはためく幟(のぼり)旗」「滝のように流れ落ちる水」「優美に舞い上がる羽衣」の3種類。どれも滑らかな描写を求められた。
照明でアニメーションのような動作を表すのは難しい。それでも上田さんは投光器の明滅するタイミング、色合いの変化を細かくプログラミングし、点灯実験を重ねた。デザイナーからは「動きがぎこちない」「もっとキラキラさせて」と幾度となく注文がついたが、「『ダサくなった』なんて言わせない」と食らいつき、完成にこぎつけた。
東京五輪・パラリンピックを経て、ツリーは海外でも、東京の夜景を彩るシンボルとして知られるようになった。
「ツリーの輝きが人々を励ましたり、ワクワクさせたりする希望になってほしい」。2人がいま抱く共通の願いだ。
ライティングのテーマ様々 139種類
ツリーのライティングは開業以来、増え続け、現在は139種類に上る。
コロナ禍が始まると、2020年春には「世界一丸となって立ち向かい、みんなで打ち勝とう」との思いを込め、地球をイメージした青色のライティングを実施。この年の夏には、下町の風物詩「隅田川花火大会」が中止になったことを受け、花火が打ち上がるような演出を仕掛けた。昨年夏の東京五輪・パラリンピック開催時には、それぞれのシンボルカラーを点灯、大会の盛り上げに一役買った。
例年、3月10日は東京大空襲の犠牲者の鎮魂、3月11日は東日本大震災の被災地の復興をテーマにしたライティングも行っている。