肥沼博士へ届け千羽鶴
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ドイツから墓前の写真 八王子の子どもら作成
第2次世界大戦終戦後のドイツで、伝染病治療に命をささげた八王子市出身の医師・肥沼信次博士。博士の慰霊に市内の子どもらが折り上げた千羽鶴2500羽が、博士が治療を続けた北東部の小都市・ウリーツェン市に届き、墓前に供えられた。
ドイツへの医学留学中に終戦を迎えた博士は、ウリーツェン市で多くの難民の命を救ったが自らも発疹チフスにかかり、1946年3月8日に死去した。博士に感謝する市民は毎年、博士の命日を迎えると感謝と慰霊の祈りをささげており、八王子市からも千羽鶴を届けて、祭壇に供えてもらっている。
コロナ禍の今年は、博士の母校・市立第三小と現地の学校と姉妹校関係にある八王子学園八王子中高の2校に絞って千羽鶴を折った。
八王子市にウリーツェン市から届いたメールには、「今年は博士の没後75周年の記念式典を予定していたが、新型コロナウイルスのため中止となってしまった」と無念さをにじませる一方、「博士を慕う市民の気持ちに変わりはない。密を避け市民が個別に墓を訪れ、博士をたたえ千羽鶴を
その上で、結束してコロナ危機を乗り越えようと呼びかけ、子どもたちのドイツ語訳メッセージに喜ぶ同市のカールステン・イルム市長の写真も添えられていたという。