鉄道ない武蔵村山なぜ

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かつて軽便鉄道が走っていたトンネル。今は自転車道として使われている
かつて軽便鉄道が走っていたトンネル。今は自転車道として使われている
武蔵村山市内をかつて走っていた軽便鉄道の歴史などを紹介する展示会場(武蔵村山市立歴史民俗資料館で)
武蔵村山市内をかつて走っていた軽便鉄道の歴史などを紹介する展示会場(武蔵村山市立歴史民俗資料館で)

歴史民俗資料館で特別展

 都内の区市で唯一鉄道が通っていない武蔵村山市の歴史民俗資料館で、特別展「武蔵村山と鉄道」が開かれている。かつて同市では、砂利を運搬する「軽便鉄道」のトロッコ列車が走っていたほか、数々の鉄道誘致計画が持ち上がったが、いずれも成就しなかった。それらの詳細は今も不明な点が多く、担当学芸員の高田春香さん(36)は「今回の展示を機に関連資料を集めたい」と話している。(水戸部絵美)

誘致頓挫今も詳細不明

 明治以降、東京は人口増加に伴う飲料水不足が深刻な問題となり、解決策として、村山貯水池(多摩湖)と山口貯水池(狭山湖)の建設が進められた。建設工事で出る砂利などを運搬するため、一般の鉄道よりも簡便な規格の軽便鉄道を敷設することを決めた。

 1921年に現在の福生駅周辺から一部ルートは不明だが、武蔵村山市までつなぐ「羽村・村山線」、29年頃には、羽村市の砂利採取場付近から武蔵村山市を横断して山口貯水池まで延びる「羽村・山口線」(12・6キロ)が完成し、線路幅約60センチのトロッコ列車が走った。ただ、貯水池などの完成とともに羽村・村山線は27年頃に、羽村・山口線は32年頃にそれぞれ撤去された。

 展示会場では、当時の写真や地図を使ったパネルで軽便鉄道の歴史を振り返っている。当時を知る羽村市在住の男性からもたらされた、山口貯水池のえん堤かさ上げ用の資材を運んでいた一部区間はロープウェーだったという証言も紹介。また、廃線後に山口貯水池の広場でくず入れの材料として使用されていたレールの展示もある。

 武蔵村山市の鉄道を巡る歴史は、両線だけではない。明治に阪東鉄道、大正に村山軽便鉄道、昭和には武州鉄道の誘致が進められた。だが、発起人の死去や鉄道の免許交付に絡む贈収賄事件で関係者が逮捕されるなどしたため、市内に鉄道が走ることはなかった。

 高田学芸員は「当時は、利便性を高めて産業を盛り上げたいという思いで、数々の誘致の話もあったが、時の運や厳しい経済情勢により実現しなかった」と話す。

 同館は2010年にも、鉄道の特別展を開催し、その後、武蔵村山市に関係する鉄道の資料などを集めてきた。ただ、集まった資料の多くは周辺市からのもので、一部のルートなど詳細が解明されていないところも多いという。同館では今後も関連資料の収集を進める一方で、市民らからの資料や情報の提供を呼びかけている。

 特別展は1月16日までで入館無料。28日から1月3日は休館。問い合わせは同館(042・560・6620)。

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2627991 0 ニュース 2021/12/25 05:00:00 2021/12/26 09:11:44 2021/12/26 09:11:44 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/12/20211224-OYTNI50050-T.jpg?type=thumbnail

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