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異色の庭師 思い継ぐ

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木の手入れをする井手口さん(智頭町で)
木の手入れをする井手口さん(智頭町で)
バンドではギターを担当する井手口さん(智頭町で)
バンドではギターを担当する井手口さん(智頭町で)

「井手口造園」4代目 井手口啓二さん 36

 パチン、パチン。5月下旬、はしごの上でバランスを取りながら両手で大きなハサミを操り、先代からの得意先である旅館のキンモクセイを刈り込んだ。「秋に良い香りが出るように」と新芽を残しながらきれいに整えた。

 大正時代から続き、国重要文化財「石谷家住宅」(智頭町)の庭園の管理を手がける造園業「井手口造園」(同)の4代目。小学校高学年の頃からハサミを持ち、繁忙期と重なる夏休みは、石谷家住宅の手入れを手伝った。枝切りから木々の防虫対策まで、庭作りのイロハを学べる「教科書のような」庭園で経験値を上げた。

 音楽が好きで、田舎から出たい気持ちもあって中学生でギターを始めた。県立智頭農林高を卒業後、短期大学への進学で移り住んだ福岡県でバンドを組み、関東地方でのツアーも決まった。「絶対にロックスターになる」

 その矢先だった。井手口造園の元請け会社が倒産し、実家が約1500万円の負債を抱えた。父親で3代目の俊之さん(69)も病に倒れたため、短大を中退して智頭町に戻った。

 井手口造園も倒産寸前だったため、従業員には辞めてもらい、俊之さんと2人で再出発することに。当時21歳。音楽の道も諦めがたく、昼は庭師として、夜は鳥取市内の飲食店で働いた。そんな生活が響き、遅刻を繰り返して俊之さんから「帰れ」「やめてしまえ」とどなられる日々が続いた。

 ただ、26歳で結婚し、30歳代になって長男が生まれると、次第に責任感が芽生えてきた。「家を背負って立つ」。覚悟を決め、腰まであった長髪をそり上げて、昨年10月、4代目の社長となった。一方で、「庭師だし、ミュージシャンでもある」と、音楽活動は続けていて、今は中学時代の同級生らと組んだバンドでギター兼サブボーカルを務めている。

 智頭町では、行く先々で子どもが手を振り、お年寄りが話しかけてくる。「先代がまいた種から芽が出て、今の関係に生きている」と感謝し、「石谷家住宅を含め、この町の歴史を保ち、伝えていくのが自分らの役目」と身を律している。(東大貴)

 <いでぐち・けいじ> 1985年、智頭町生まれ。仕事中は海外のラッパーをまねて、黒のストッキングを使った特製の帽子をかぶる。寡黙な職人だった父・俊之さんとは対照的で、軽妙な語り口とハサミさばきが売りだが、しゃべりすぎて叱られたことは数え切れない。祖父からもらった「木(こ)ばさみ」を愛用する。

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2105335 0 人あり 2021/06/07 05:00:00 2021/06/07 05:00:00 熟練の手さばきで木の形を整える井手口さん(智頭町智頭で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210606-OYTAI50000-T.jpg?type=thumbnail

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