<東日本大震災10年>支援の心 これからも
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ぎんりんグループ社長 村上亜由美さん
炊き出し「やめる理由ない」
東日本大震災から11日で10年。この間、津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市に、鳥取県から支援をし、交流を続けている人がいる。「すなば
「大変なことになっている。どうやって生きていくんだろう……」。震災の被害を伝える映像に、衝撃を受けた。そんな中、九州のラーメン店主が炊き出しのために被災地に向かうニュースを見て、がれきを撤去するノウハウはないが、自分たちにもできることがあるのでは、と思った。「おなかいっぱい温かい物を食べてほしい」。発生から間もない2011年3月、同グループ会長で夫の和良さん(74)や店のスタッフとともに、保冷用のトラックに食材を積んで東北に向かい、福島県郡山市と、宮城県石巻市で炊き出しを行った。
陸前高田市に初めて入ったのは翌4月。和良さんらと交代で運転しながら、約16時間をかけて着いたのが、津波で田畑の多くが海水につかった下矢作地区だった。以来、地区を訪れた回数は40回を超えた。
現地では、温かい食事を振る舞ったり、食材を差し入れたりしてきた。村上さんの被災地支援の原点は、1995年の阪神大震災。そこで「『食べる』が『生きる』に直結する」と学んだという。2015年には、災害復興支援などを目的としたNPO法人を設立。飲食業の会社として支援を行うよりも、受け入れ先となる被災地との調整などがスムーズになったといい、18年の西日本豪雨では、岡山県倉敷市真備町で炊き出しを行った。
19年9月には、陸前高田市での支援が縁で、「奇跡の一本松」がある同市の「高田松原津波復興祈念公園」にすなば珈琲を出店。この頃には、現地での会話は「元気だったか?」といった何げないやりとりばかりになっており、「支援」から「交流」に変わってきているのを実感した。
最近、下矢作地区の住民の笑顔を見ると「もう10年か」と思うこともあるという。ただ、誰もが軌道に乗って生活しているわけではない。仮設住宅に暮らす人もおり、震災で過疎と高齢化に拍車がかかり、地域で見かける姿の大半は高齢者だ。「私たちができることは、地元の活性化を側面から応援していくこと。少しでも若い人が帰ってきてくれるようになれば」と話す。
10年続けてきた炊き出しは、「やめる理由がない」と区切りは設けていない。1度に150万円以上かかるが、震災直後に振る舞ったメニューを再現した「炊き出し定食」を経営する飲食店で提供し、1食につき1000円を義援金に充てるなどして、賄っていくつもりだ。
すなば珈琲がある高田松原では、津波で失われた白砂青松を取り戻そうと、防潮堤の内側に松の小木約4万本が植樹されている。「砂浜が立派な松でいっぱいになるまで見届けたい」と村上さん。これからも交流を続けていく。