<1>変わる街 癒えぬ心の傷
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◇犠牲者の姿 今も脳裏に
「カレー事件被害者の会」の副会長、杉谷安生さん(71)は、20年前の様子をはっきりと覚えている。
美山村(現日高川町)での仕事を終え、軽トラックを運転して和歌山市の自宅に帰る途中だった。夕方、市内に入った頃、携帯電話が鳴った。
「娘さんが吐いて、病院で点滴を受けている。すぐ来てください」
突然の知らせに動転した。高校2年の娘は、友人と園部第14自治会の夏祭りに行ったはずだ。電話はその友人の親からだった。
園部の外科病院に駆けつけた。娘は
周りで同じように吐いている人が何人もいた。近くにあった消防の出張所に飛び込み、別の病院を紹介してもらった。「あんたら忙しいやろから、自分で連れて行く」。娘を車に乗せ、懸命に走った。
◇
園部第14自治会は80年代に開発された新興住宅地だ。事件が起きたのは、住民同士の親睦を深めるために開かれた夏祭り。そこで振る舞われたカレーにヒ素が混入された。
当初、毒物による事件とは分からず、「食中毒」と考えられていた。ヒ素が混入されたなど、誰も想像すらしなかった。
杉谷さんの娘は入院したが、4日で退院できた。同じカレーを食べた4人が亡くなったことで、食中毒だと考えていた病院も処置の仕方が変わったという。「お前は亡くなった人たちに生かされてるんや」。あれ以来、娘に言い聞かせてきた。
16歳だった娘は今、結婚して30代半ば。2人の孫は小学生になる。成長を喜ぶ一方、亡くなった4人に申し訳ないような気持ちも抱いてきた。
事件から20年となった25日の朝、夏祭り会場だった空き地を訪れ、静かに手を合わせた。
◇
この20年で、園部の街も変わった。夏祭り会場の空き地は事件後、住宅が建ち、少し狭くなった。あの夜、救急車が殺到したそばの県道は、2車線から4車線に拡幅され、以前より明るい雰囲気になった。
家族向けのアパートも増えた。昨年引っ越してきた会社員(28)は「カレー事件のことは知っているが、特に印象はない。ここは駅やスーパーに近く住みやすい」と話す。事件はもう、どこか遠い世界の出来事なのかもしれない。
ただ、事件を経験した住民たちの心には、今も深い傷が残っている。住民の男性(67)は、夏祭り会場の近くで腹を押さえて
「絶対カレー食べたらあかんぞ」。あの時、自治会役員から注意された。自分も苦しいのに、病院に向かう住民に付き添っていた副会長の田中孝昭さん(当時53歳)だった。翌朝、搬送先の病院で亡くなったと知らされた。
男性は言う。「少しずつ、昔みたいに住民同士で冗談も言い合えるようになってきた。でも、事件の話は、今も絶対にしない」