<3>診察、助言 被害者支え

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

当時の診察を振り返る井上さん。現在は北九州市の病院でパーキンソン病患者の診察に当たっている(9日、北九州市で)=葉久裕也撮影
当時の診察を振り返る井上さん。現在は北九州市の病院でパーキンソン病患者の診察に当たっている(9日、北九州市で)=葉久裕也撮影

 ◇ヒ素中毒専門家、捜査協力

 「先生のおかげで、毎日1万歩歩けるほど元気になりました」

 毒物カレー事件の発生から20年となった今月25日の昼過ぎ、九州大名誉教授の井上尚英さん(78)の携帯電話に、懐かしい声が響いた。

 電話の主は、当時、園部第14自治会の夏祭りでカレーを味見し、一時意識不明となる重症を負った松山イサ子さん(87)だった。20年を機に近況を知らせてきた。

 井上さんは事件後、何度も和歌山を訪れ被害者全員を診察してきた。松山さんもその1人。名前も顔もはっきりと覚えている。

 電話で話しながら「あれだけ多くの患者を診察していたのに、私のことを覚えてくれていた」と感謝の言葉を述べる松山さんに、井上さんは当時と同じように優しく語りかけた。

 「元気になったかあ。よかったねぇ」

     ◇

 井上さんは、国内で数少ないヒ素中毒の専門家。九州大教授だった当時、和歌山県警から捜査への協力を懇願された。犠牲者や被害者らが本当にヒ素中毒であるということを証明する作業が捜査に必要だった。事件後、1か月ほどたった頃、大学に県警幹部が訪ねてきて「事件を解決できるのは先生しかいません」と頭を下げられた。

 それから毎週末、和歌山を訪れた。外部に悟られないよう、和歌山市内の交番で被害者63人と、林真須美死刑囚の自宅に出入りして中毒のような症状を起こしていた人物らを診察した。膨大な量のカルテも読み込み、全員がヒ素中毒に違いないと結論づけた。依頼を受けて3か月間は寝る間もなかった。

     ◇

 事件解決に重要な役割を果たしただけでなく、井上さんの診察は被害者たちの心の支えにもなった。当時、和歌山にはヒ素中毒に詳しい医師がおらず、みんな不安を感じていたからだ。

 松山さんは事件後20日間入院し、しばらくして、井上さんの診察を受けるようになった。ヒ素のせいか、退院後もしっかり歩けないことを相談すると、「ふらふらになっても毎日歩くことです」と優しく助言された。

 その教えは今も守っている。足腰は順調に回復し、今年は山登りにも挑戦。大台ヶ原(三重、奈良県)や生石山などに登ったという。「この先生の言いつけを守って死ぬようだったらそれが私の寿命だと納得できるくらい、信頼できる先生」と喜ぶ。

 被害者の中には妊婦も4人いた。ヒ素が胎児に影響しないか心配し、眠れないほど悩んで「産んでも大丈夫なのか」と迫る妊婦もいた。井上さんは検討を重ね、「大丈夫です」と背中を押した。「僕以外にそれができる人はいないと思って」と振り返る。

 井上さんから被害者に寄り添う姿勢を学び、有功いさお交番で長年被害者たちを支えてきたのが、丸山勝さん(69)だ。当時、刑事だった丸山さんは、井上さんの診察時には必ず同席してきた。「先生の被害者に寄り添う姿勢に心を打たれた」と、事件から4年後、交番所長の道に進んだ。

 丸山さんはすでに退職したが、「苦しんでいる遺族や被害者らの話し相手になる」という思いは、今も受け継がれている。

無断転載禁止
34293 0 毒物カレー事件 20年 2018/07/29 05:00:00 2018/07/29 05:00:00 事件関係者の診察について振り返る井上さん(9日午後4時47分、北九州市の医療法人財団はまゆう会新王子病院で)=葉久裕也撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180728-OYTAI50009-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

アクセスランキング

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
The Japan News
発言小町
OTEKOMACHI
ささっとー
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
YOMIURI BRAND STUDIO
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
読売新聞社からのお知らせ