<5>被害者支援 常に備え

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夏祭り会場だった空き地。20年の時が流れた(7月30日、和歌山市園部で)=東直哉撮影
夏祭り会場だった空き地。20年の時が流れた(7月30日、和歌山市園部で)=東直哉撮影

 ◇保健所や団体 教訓を糧に

 「もう一度、カレー事件のような大きな事件が起きたら、私たちはどう動けばいいのだろうか」

 事件の被害者らを支援する公益社団法人「紀の国被害者支援センター」(和歌山市)の事務局長、浅利武さん(70)は考え込む。

 毒物カレー事件が起きた1998年7月、センターは設立して1年余りしかたっていなかった。被害者たちとどう向き合えばいいのかノウハウもなく、発生から数か月は相談電話を待つだけだった。

 消極的な姿勢は、「現場にテントを張ってでも相談を受けるべきだったのでは」と、被害者らの厳しい批判にさらされた。

 当時のスタッフたちにとって、いかに遺族や被害者らを支えるか、模索の連続だった。林真須美・死刑囚(57)の裁判を見届けてもらおうと傍聴券を求める列に並び、法廷で黙秘を続ける林死刑囚に証言を求めるために被害者の会の署名活動にも協力した。

 浅利さんは事件当時、県職員だった。退職後、スーパーに貼ってあった募集チラシを見て関心を持ち、2007年にセンターに加わった。カレー事件での苦労は他のスタッフに聞いた。

 「これからは支援する側の体制も整えなければならない」と、事件当時はボランティア団体だったセンターを公益社団法人にし、事件が起きた際に警察から被害者らの個人情報を提供してもらえる「犯罪被害者等早期援助団体」としての指定も受けた。

 ただ、体制が整ってもそれで十分ではなかった。11年9月の紀伊水害ではカレー事件の反省もふまえ、発生の2週間後に臨時の相談電話を開設し、甚大な被害があった新宮市には5か月後に2か所の出張相談所を設けた。しかし、両方とも一件の相談もなかった。模索は今も続いている。

 それでも、もし、また大事件や大災害が起きれば、同じように電話相談をし、現場に足を運ぶつもりだ。「被害者の力になれるよう、常に備えていなければいけない」。浅利さんがこの20年で得た教訓だ。

          ◇

 今年、11年ぶりにカレー事件の被害者全員の健康調査を行った和歌山市保健所。アンケート用紙を送った58人のうち、34人が回答してくれた。ただ、面談調査を希望する人は1人しかいなかった。「もう事件を思い出したくない」と、回答するのを断った人もいたという。

 まだヒ素中毒と分かっていなかった事件直後、当時の所長が記者会見で「原因は99%食中毒」と述べたことなどから、保健所は批判を浴びてきた。被害者から「対応に手落ちがあったのでは」と詰め寄られたこともあった。

 現在の所長、永井尚子さん(64)は当時、和歌山市の保健対策課長だった。医療機関との情報共有など、毒物被害への対策に奔走する毎日だった。

 20年がたち、当時のことを知る職員も少なくなった。アンケートの回答者も減ってきた。被害者全員を対象にした調査は今回が最後になるかもしれない。「それでも」と永井さんは言う。

 「被害者全員の症状や経過を把握している機関は保健所以外にない。被害者がふと不安になった時に、相談できる先であり続けたい」

 支援する側にも、事件の区切りが来ることはない。

(おわり、この連載は大場久仁彦、東直哉、葉久裕也が担当しました)

無断転載禁止
34965 0 毒物カレー事件 20年 2018/08/02 05:00:00 2018/08/02 05:00:00 20年前、夏祭りの会場となった空き地(7月30日午後4時54分、和歌山市園部で)=東直哉撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180801-OYTAI50011-T.jpg?type=thumbnail

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