顧客に寄り添う制服
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ウチハタ 和歌山市
和歌山市の制服製造・販売会社「ウチハタ」は、警備服や作業服、飲食業向けの服など、あらゆる職種に対応した制服作りを半世紀以上にわたって手がけてきた。顧客のオーダーに寄り添うからこそ、長く使われる制服になるという。
友人と戯れながら登校する学生たち、汗だくになりながら交通整理をする警備員、笑顔で子どもたちに接する遊園地のスタッフ――。皆、一日のほとんどを「制服」で過ごす。「だから、作り手として一つたりとも手を抜けない」。内畑雅年社長(58)は力を込める。
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和歌山市中心部のけやき大通り。そこから少し脇道に入った場所にある4階建てのビルが本社だ。制服の卸売りのほか、デザインなどを手がけ、顧客は、1500以上の団体・企業に上る。警察や役場、学校、百貨店、工場など、制服を必要とするあらゆる業界から発注を受け、年間数千着を扱う。

同社の特徴は、生地選びから仕立てるオーダーメイドの制服。顧客の要望に合わせて、使いやすいデザインや生地の素材など細部までこだわり、1年以上かけてつくることもある。
「ポケットに入れた物が落ちない制服にしてほしい」と依頼があれば、従業員らで意見を交わしながら、ポケットの位置や大きさを工夫する。「工場の制服で、綿100%、赤色でそろえたい」という要望には、熱や汚れにさらされても色が落ちにくい生地を全国から探し出したりして対応してきた。
内畑社長は「じっくり話を聞いて、着た人が誇りに思える服作りを目指してきた」と話す。
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創業は1963年。当時、制服はスポーツ選手や学生が着るもので、会社や工場など、同じ組織に所属する人が同じ服を着る習慣はなかったという。それが、70年に開催された大阪万博で、コンパニオンたちが同じ服を着て並ぶ華やかな姿がテレビで全国に放送されると、「制服」に注目が集まった。
同社も、時代に置いていかれまいと、71年に和歌山で開かれた「黒潮国体」で、県選手団が身につけるブレザーやスラックスを手がけた。内畑社長は「この頃から、色んな種類の制服を扱うようになり、取引先がどんどん増えた」と説明する。80年代に入ると、多くの企業で理念や特徴、イメージをわかりやすく社外に発信する企業戦略が広がり、その一助として、制服の導入が増えた。
2000年代に入り、不況による経費削減などの影響から官公庁や銀行で制服廃止が進んだが、代わりに、外食需要の拡大で、制服を採用する飲食店や食品工場が増え、売り上げを順調に伸ばしている。
行政機関や警備会社、百貨店など、比較的長い期間、大きく形が変わらない制服は量産するケースが多いが、「10着からでも対応する」のが身上。内畑社長は「量産品からオーダーメイドまで、柔軟に対応できるのがうちの強み」と胸を張る。
24日の和歌山版では、同社の創業者、内畑瑛造会長のインタビューを紹介します。
<MEMO>1963年創業。従業員16人、資本金1000万円。工場の作業服などの「ワーキング服」や、飲食店、ホテル、病院などの「サービス服」が売り上げの約6割を占める。
<我が社の自慢>
古着回収し再生
仕上がった制服を長く着てもらうことが一番。でも、そこでは終わらない。
2年前から、化学繊維のポリエステルを古着から取り出して糸にし、新しい服をつくる取り組み「BRING」に参加。リサイクルのため、顧客から年間400~500着の古くなった制服を集める。
これまで、ポリエステルが使われた古着は、固形燃料になるなどしていたが、リサイクル事業を手がける日本環境設計(東京)が、衣類を溶かして糸に再生する技術を開発。「BRING」は、その技術を使って、古着を新しい衣類に作り直す取り組みで、ウチハタのほか、大手百貨店や衣料品メーカーなど、50社以上が参加している。
内畑社長は「企業名の刺しゅうが入った制服は、安易に処分すると盗まれたり、悪用されたりする恐れもある。うちでまとめて回収すればそんな心配もないでしょう」と、環境にも防犯にも気を配る。