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「不老橋」 (和歌山市)

 〈若の浦にしお満ちくれば潟を無み芦辺をさして鶴鳴き渡る〉――。奈良時代の歌人・山部赤人は、和歌の浦の干潟に潮が満ちていく様子を、感動を込めて歌に詠んだ。古くから人々に愛されてきた景観は、2010年に国の名勝に指定された。その中で、玉津島神社(和歌山市和歌浦中)の南側に位置し、市町川にかかる石橋「不老橋」は、紀州徳川家の威光を今に伝える市指定の文化財だ。

市町川にかかる不老橋
市町川にかかる不老橋
雲紋の半肉彫りが施された勾欄
雲紋の半肉彫りが施された勾欄

 10代藩主、徳川 治宝はるとみ の命により1850年に着工し、翌51年に完成した。「不老橋」という名前は、いくつかの候補の中から治宝が自ら選定したといわれる。市文化振興課の担当者は「家康への尊崇や、自分の権力を目に見える形で表したかったのかもしれません。朽ちにくい石の橋と同じように、紀州藩が永く栄えるよう願いを込めたのでは」と推測する。

 実際は、和泉砂岩で出来た不老橋は雨風で傷みやすく、時間とともに表面が 剥離はくり するそうだ。それでも修繕を繰り返し、170年後の今もほとんど当時のままの姿を保っている。

 アーチ形の橋を実際に渡ってみると、まるで階段を上っているかのように急だ。ほのかに潮の香りがして、橋の中央まで進むと手前に和歌の浦、奥には遠く生石高原を見晴らすことができる。江戸時代の石橋でアーチ形のものは、朝鮮との盛んな交流で技術が発展した九州地方以外では珍しい。治宝が、わざわざ肥後熊本の石工集団を呼び寄せて作らせたのだという。

 「 勾欄こうらん 」と呼ばれる橋の側面も凝っている。雲を立体的に表現した彫りは、湯浅の名工、石屋忠兵衛の作とされる。雲紋は仏教建築に多く見られ、勾欄にも模様を施した橋は珍しいことから、治宝が ぜい を尽くした様子がうかがえる。文化に造詣が深く「数寄の殿様」といわれた治宝らしい。

 不老橋は、徳川家康をまつる紀州東照宮の祭礼「和歌祭」と深い関係がある。治宝の代に、東照宮からの 神輿みこし が仮にとどまる「 御旅所おたびしょ 」が移転することになり、東照宮と新たな御旅所をつなぐ「お成り道」の一部として作られたのが、この橋だったのだ。東照宮からの一行が、石造りの不老橋をゆっくりと進む。目を閉じると、その華やかな姿が浮かぶようだ。

 やがて徳川の治世は終わる。市観光協会の松浦光次郎さん(56)は「戦前は、子どもたちが橋から川に飛び込んでよく遊んでいたようです」とほほえむ。和歌浦周辺にはホテルや旅館がオープンし、橋を渡った先にはガラス張りの現代的な文化施設「和歌の浦アート・キューブ」が立つ。

 時代は変わったが、不老橋は170年前と同じ姿で、和歌山の歴史と文化を今に伝える。その最大の機会が、人々が神輿を担いで一帯を練り歩く和歌祭だ。新型コロナの影響で2年連続で中止となったが、来年は創始400年の記念すべき年を迎える。橋は、その時を静かに待っているように見える。(清水美穂)

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2453298 0 わかやま 文化財めぐり 2021/10/19 05:00:00 2021/10/19 05:00:00 2021/10/19 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/10/20211018-OYTAI50027-T.jpg?type=thumbnail

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