<震災9年>梧陵の教え 継承続ける

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浜口梧陵像の前で「梧陵さんの教えを広めるため、時代に即した新たな伝承法を常に考えていきたい」と話す清水さん(広川町役場で)
浜口梧陵像の前で「梧陵さんの教えを広めるため、時代に即した新たな伝承法を常に考えていきたい」と話す清水さん(広川町役場で)

 ◇「稲むらの火祭り」実行委 清水さん

 ◇「揺れたら高台へ忘れないで」

 高い所へ逃げろ――。1854年の安政南海地震で稲わらに放った火を目印に多くの住民を高台に導き、津波から命を救った広村(現・広川町)出身の豪商・浜口梧陵の功績を伝える「稲むらの火祭り」。2003年の初開催に尽力した清水勲さん(90)(湯浅町)は、1946年の昭和南海地震で荒れる海の恐ろしさを目の当たりにした。11日で9年となる東日本大震災では多くの人が波にのみ込まれた。「揺れたらすぐに高台へ。梧陵さんの教えを忘れないで」と訴える。(大田魁人)

 「えらいこっちゃ……」

 1946年12月21日未明、和歌山市駅で汽車に乗るため、長い列に並んでいた当時17歳の清水さんは、ガタガタという音と立っていられないほどの激しい揺れに恐怖を感じた。昭和南海地震だった。

 数時間待って汽車に乗り、冷水浦駅(海南市)で下車し、海を見て衝撃を受けた。「漁船が陸地に打ち上げられていた。これが津波の威力かと実感した」。県の災害史によると、この地震では、津波などの影響で県内の死者は195人、全壊家屋は2439軒に上った。

 一方、安政南海地震後に梧陵が私財を投じて村人らと作った「広村堤防」がある広川町は、堤防が波を防ぎ、中心部への壊滅的なダメージは免れた。だが、海岸近くの紡績工場では、勤務する女性が逃げ遅れて18人が犠牲となった。

 小学校の国語で梧陵の功績について「徹底的に教え込まれた」という清水さんは「津波に備えること、安全な場所へ早く避難すること。昭和南海地震を経験して、梧陵さんの行いの正しさを、改めて痛感した」と振り返る。

 大学卒業後に教師となり、梧陵が創設した耐久中(広川町)の校長を退職するまで、生徒や地元の住民らに梧陵の教えを説き続けた。その後も、語り部活動を行っている。

 2003年には、梧陵の故事を再現して防災意識を高めるため、火祭りを初開催。この時は実行委員会の事務局長を任され、成功に導いた。今も祭りの運営に携わる。

 津波で多数の命が奪われたあの震災から9年。積み重ねた月日とともに記憶の風化が懸念される。「災害は忘れたころにやってくる。梧陵さんの偉業継承には、まだまだ力を入れて取り組まないと」。若い頃に胸に刻んだ思いは、卒寿を過ぎた今も揺らぐことはない。

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1100780 0 ニュース 2020/03/11 05:00:00 2020/03/11 05:00:00 2020/03/11 05:00:00 「時代に則した新たな伝承法を常に考えていかないと」と浜口梧稜像の前で話す清水さん(広川町で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/03/20200310-OYTNI50028-T.jpg?type=thumbnail

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