心寄り添う高野山の僧に

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大震災機に仏教学ぶ 東北出身・大塚さん

 2011年3月の東日本大震災をきっかけに心のケアに関心を持ち、高野山大(高野町)で仏教を学ぶ東北出身の女性がいる。4年の大塚弓子さん(41)で、将来は高野山の僧侶を目指す。大塚さんは「大震災後に多くの悲しみに向き合ってきたが、人の心に寄り添う僧侶として苦しむ人たちを助けたい」と研さんを積む。(坂戸奎太)

高野山・奥之院に建つ東日本大震災の慰霊碑前で思いを語る大塚さん(高野町で)
高野山・奥之院に建つ東日本大震災の慰霊碑前で思いを語る大塚さん(高野町で)

 「左右の大きな揺れが収まらず、10分ぐらいの長さに感じた」。大震災が起こったあの日、大塚さんは秋田市の総合病院にいた。術後患者らの体のケアをする「リンパ浮腫セラピスト」として、在籍していた石巻赤十字病院(宮城県石巻市)から出張していた時だった。

 混乱の末、1週間後に戻った石巻赤十字病院では、届けられた空の遺体袋を院内に運び込んだ。数百人分あり、たくさんの人が亡くなった事実に言葉を失った。それから約4か月間、心に傷を受けた病院職員や患者の話を聞く「心のケアルーム」の担当を務めた。

 「夫らしい遺体を発見したが、顔が判別できず下着で確認した」「なぜ自分が生き残ったのか」。心に傷を負った人たちを励まし続けたが、12年春に病院を辞めた。「自分の力不足を感じた。心のケアをもっと学びたい」との決意だった。

 都内の通信制大学で2年間心理学を専攻し、「東洋の心理学とも言われる仏教も知りたい」とさらに4年間、別大学の通信制で仏教の教えに触れた。高野山に旅行で訪れた縁もあり、18年4月には高野山大3年に編入した。

 「人々が抱える悲しみは比較できない」「年月を経ても悲しみを抱え続ける人がいる」。人間学科で学びを深めた。日々充実していたが、19年7月、授業中に前触れなく、震災時の記憶がフラッシュバックした。

 心のケアルームで、家族を亡くして泣き崩れながら自分に話をする人たちの姿が頭から離れず、食事が喉を通らなくなった。「本当は自分も被災者なのに話を聞く立場だったから、つらい顔をするのを我慢していた」と抑え込んでいた感情があふれた。

 その姿を見た高野山大の先生は「あなたが安心できる場所はどこか」と問いかけてくれた。真っ先に頭に浮かんだのは、宿坊の勤行ごんぎょうで心が洗われた高野山だった。住まいを奈良市から高野山へと移すことにした。

 現在は高野山・奥之院の職員として働きつつ、高野山大難波サテライト(大阪市)で受講する。高野山での生活は住民同士の距離が近く、声をかけてもらうことも多い。住み始めて半年で心も落ち着いたという。

 大学卒業後は、高野山内の寺に入るなどして僧籍を取得し、僧侶を目指す。「心の痛みに共感して寄り添える僧侶になりたい」と夢を語った。

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1138326 0 ニュース 2020/03/31 05:00:00 2020/03/31 05:00:00 2020/03/31 05:00:00 高野山・奥之院に建つ東日本大震災の慰霊碑前で思いを語る大塚さん(高野町で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/03/20200330-OYTNI50038-T.jpg?type=thumbnail

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