ラジオで伝える 命の情報
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広川の坂口さん
阪神大震災機にFM開局 「リスナーに安心を」決意新た

17日で発生から26年を迎えた阪神大震災。広川町の坂口緑さん(68)は、震災を機に地元でコミュニティーFM「FMマザーシップ」(湯浅町)を開局した。以降、20年間、身近な地域ニュースを提供し、台風や水害時には被災状況や避難に関する災害情報を伝え続けてきた坂口さんは、「住民の役に立つ情報を発信し続けたい」と決意を新たにしている。(大田魁人)
「『月金75分』をスタートします!」。月曜~金曜の午前11時45分から約1時間15分、湯浅町を中心に、広川、有田川両町や和歌山や御坊両市の一部などでラジオから流れる生放送。坂口さんの明るい声が響いた。
坂口さんは、20年前に開局したFMマザーシップで、自らDJを務め、スタジオから地域の防犯、防災情報を伝え続けてきた。番組では町長が町の展望を語ったり、リスナーからの電話を受けたりすることもある。坂口さんは「震災がなかったら、こんな生き方はしていなかった」と話す。
1995年1月17日早朝、広川町の自宅で就寝中だった坂口さんは、突然、大きな揺れに見舞われた。幸い近くで目立った被害はなかったが、テレビ画面には、建物が崩れ、あちこちで火の手が上がる神戸の街並みが映し出され、ショックを受けた。
1854年の安政南海地震で大きな津波被害を受けた広川町出身の坂口さん。近い将来発生すると言われている南海トラフ巨大地震では、同町を含む県内の広い地域で津波被害が予想されている。とても、ひとごととは思えなかった。
災害に強い危機感を抱くようになった坂口さんの元に、数週間後、1本のカセットテープが届いた。被災地の窮状を伝えたいと、当時、神戸市内の大学に通っていた友人の娘が神戸のラジオ局の放送を録音したものだった。
〈息子へ。体育館に避難しています〉〈母はここにいます〉――。カセットテープからは、被災者のメッセージや避難所情報などが流れてきた。「災害時に必要なのは飲食料や衣類だけでなく、『情報』も求められているんだ」。ラジオの存在価値を強く感じた。
その数年後、たまたま目にした新聞記事で、少人数でも運営できるコミュニティーFM局の存在を知った。カセットテープを聴いたときの感情がよみがえり、「こんなに小さなラジオ局なら私にもできる」と決心した。当時、税理士を目指して通っていた大阪の会計専門学校を辞め、ラジオの放送技術を学ぶセミナーに参加。地元企業を行脚して200社のスポンサーを集め、2001年12月に開局した。
放送開始後は、県内に台風が接近する度に川の増水状況や避難所情報を伝えた。11年9月の紀伊水害では、徹夜で災害情報を流し続け、自分で目にした周囲の状況や、地元住民らの声も伝えた。リスナーからは「坂口さんの声を聞いて安心したよ」と声が寄せられた。
最近は、コロナ禍の影響で経営が悪化したスポンサー企業から契約を打ち切られるなど厳しい状況だが、「災害時にはリスナーが求める情報をリアルタイムで伝えないといけない。これからも地域住民の頼りになる存在でありたい」と決意は揺るがない。