藤六の功績 伝える大輪

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有田の住民グループ 顕彰碑周りにヒマワリ

昨夏に咲いた堤防沿いのヒマワリ=有田市提供
昨夏に咲いた堤防沿いのヒマワリ=有田市提供
日根藤六を顕彰する碑の前で水害を振り返る高関さん(右)ら
日根藤六を顕彰する碑の前で水害を振り返る高関さん(右)ら

 有田市宮原町須谷地区の住民グループ「 向日葵ひまわり 応援隊」が、江戸時代に起きた水害の復旧に尽力した紀州藩の 日根藤六ひねとうろく を知ってもらおうと、有田川沿いの堤防にある顕彰碑の周りにヒマワリを植える活動を3年前から続けている。メンバーは「市民の防災意識を高め、災害への備えが進むきっかけになれば」と願う。(岡田英也)

江戸時代に水害復旧尽力

 江戸時代の1790年に現在の有田市を襲った大洪水では、有田川の堤防が決壊。家屋が流され、水田は荒れた。

 紀州藩有田郡の奉行だった藤六は、住民の困窮を藩主に訴えて復旧工事に取りかかり、 せき や堤防を増築。その際、須谷地区の堤防も復旧させたとされる。

 須谷地区で生まれ育った高関俊明さん(79)は、小学5年生だった1953年7月、紀州大水害を経験した。市内だけで161人の死者・行方不明者を出し、高関さんの自宅も1階天井付近まで浸水したが、家屋は流されず家族も無事だった。須谷地区の堤防のうち、藤六が築いた部分は決壊せず、他の地区より被害が小さかったと聞いた。

 高関さんは「もし堤防が決壊していれば、もっと被害が大きかったかもしれない」と言い、地区では藤六の功績とともに、早急な避難や災害対策の重要性を語り継いできた。現在の堤防は、藤六が築いた堤防を増強したもので、近くには藤六の顕彰碑(高さ約3メートル)が立っている。

 しかし、水害から70年近くが過ぎ、当時のことを知らない住民も増えてきた。そこで高関さんら地元住民の有志は2019年から、顕彰碑の周辺にヒマワリを植える活動を始めた。ヒマワリを選んだのは、水害が起きた夏に咲くからで、グループ名もそこから取った。

 今月10日にも種まきを実施し、近くの市立宮原小4年の41人とメンバーら約20人が約3000粒の種を土に埋めた。

 7月上旬から堤防沿いの約300メートルが大輪の花で彩られるはずだ。高関さんは「災害は、住民の記憶が風化した頃に起こる。顕彰碑やヒマワリを見学して、水害や防災について考えるきっかけにしてほしい」と話している。

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3008230 0 ニュース 2022/05/18 05:00:00 2022/05/18 05:00:00 2022/05/18 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/05/20220517-OYTNI50065-T.jpg?type=thumbnail

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