夫婦ランナー マラソン世界6大大会走破
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山形の志田さん 国内外マラソンに20年間
「世界6大マラソン」を走破した夫婦が山形市にいる。20年間、100近くの大会に2人で出場し、一度も棄権せず、完走を果たした。昨年2月の東京マラソンで「偉業」を達成。年齢を考慮し、昨年10月のスイスでのマラソン大会を最後にフルマラソンから身を引いたが、「ハーフマラソンなど様々な大会で走り、多くのランナーらと交流したい」と声を弾ませる。
夫婦は山形市松見町の志田敏和さん(75)と季代江さん(70)。
6大マラソンは、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークシティー、東京の6大会。
6大マラソンを全て完走すると、「シックス・スター・フィニッシャー」と呼ばれ、メダルが贈られる。市民ランナーの憧れで、昨年7月時点で、世界で3837人が達成している。
昨年2月の東京マラソン。6大マラソンの名称とともに、完走した五つの大会に「★」が記されたゼッケンを付けた2人がゴールに近づくにつれ、外国人ランナーから「コングラチュレーション(おめでとう)」と声が飛んだ。
途中まで夫婦並んで走っていたが、敏和さんが腰を痛めたこともあり、季代江さんが5時間18分25秒で先にゴールし、約3分遅れで敏和さんが続いた。
6大マラソンの主催者で構成する「アボット・ワールドマラソンメジャーズ」の担当者から「夫婦での達成は国内初ではないか」と言われたという。
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敏和さんは山形市出身で、市内の病院で診療放射線技師として働いた。40歳を過ぎた頃、知人に誘われて野球の審判を務め、少年野球から高校、社会人まで様々な試合をジャッジした。
審判は立ちっぱなしの体力勝負。「体力をつけなきゃ」と、勤務後に週1、2回、3~4キロの走り込みを4年ほど続けた。
「走っているならマラソン大会に出てみたら」。同僚の医師に勧められ、長井マラソン(ハーフ)にエントリー。あまりの苦しさに心が折れそうになったが、何とか走りきった。「完走の達成感は言葉では表現できない。マラソンの魅力にとりつかれた」と敏和さん。
季代江さんは、様々な大会に出場する敏和さんに同行し、沿道から声援を送り続けた。だが、「自分が走ろうとは思わなかった」。転機となったのは、1998年に敏和さんが出場したホノルルマラソン。完走者だけがもらえる貝殻の首飾りを身に付けた敏和さんが「羨ましくて仕方がなかった」。51歳でマラソン挑戦を決めた。
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平日は夫婦で蔵王地区を走り込み、週末に大会に出場。さくらんぼマラソン(東根市)や田沢湖マラソン(秋田県)など各地の大会を完走する中、市民ランナーから海外大会の魅力を聞き、2014年に6大マラソンへの挑戦を始めた。
ロンドンはバッキンガム宮殿、ベルリンはブランデンブルク門、ニューヨークはセントラルパーク――。6大マラソンは世界的に有名な名所の近くを走るため、敏和さんは「走りながら夢のような時間を味わえる」と話す。
市民の熱烈な応援にも驚かされた。ゼッケンに「TOSHI」「KIYO」と記して走ると、沿道から名前が連呼される。「ものすごい声援に背中を押され、苦しくても自然と足が前に出る」と季代江さん。
14年にロンドン、15年にベルリン、16年にシカゴ、17年にボストンとニューヨークシティーを完走し、昨年の東京で6大マラソンを走破した。
2人は昨年10月、スイスでのマラソン大会を最後にフルマラソンに一区切りをつけた。だが、ハーフマラソンなどの大会には出場する予定だ。「大会で一緒になったランナーや応援してくれる人との一期一会の出会いを楽しみたい。夫婦で走るから続けられる」と笑顔で声をそろえた。