関ヶ原3武将の子孫対面 先祖への思い語る

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報道陣の取材に応じる(左から)毛利さん、石田さん、小早川さん
報道陣の取材に応じる(左から)毛利さん、石田さん、小早川さん

 現在の下関市の大部分を占めた長府藩成立のきっかけとなった関ヶ原の戦い(1600年)の特別展が、下関市立歴史博物館で開かれている。開会式には、西軍の石田三成や毛利秀元、東軍に寝返ったとされる小早川秀秋の子孫も約420年の「恩讐おんしゅう」を超えて同席し、先祖への思いなどを語った。3武将の子孫がそろって対面するのは初めて。(杉尾毅)

 合戦では毛利輝元や石田三成らが西軍の軸となり、徳川家康を中心とする東軍と戦った。輝元のいとこの秀元や重臣の吉川広家らによる約1万の毛利勢は西軍の主力をなしたが、広家の和睦交渉などもあって動かず、秀秋の裏切りなどで東軍が勝利したとされる。戦後、毛利氏の領国は中国地方の9か国から2か国に大減封。その下で秀元は初代長府藩主となった。

 3武将の子孫は、10月初旬に行われた開会式のあいさつや報道陣の取材で思いを披露した。三成の子孫の石田秀雄さん(69)(千葉県市川市)は、秀秋の子孫の小早川隆治さん(78)(東京)と2年前に滋賀県での座談会で対面して以来、親交を温めていることを明かした。そして、「皆、その時その時で最良の判断を下して最後まで行動したのだと思う。私の持論だと、秀秋は最初から東軍の気持ちで、裏切りでも寝返りでもなんでもない」と強調。一方で「三成が人の気持ちをくみ取る能力にたけていたら、もっと楽に戦えていたのではないか」と語った。

 小早川さんは、小早川家は秀秋の代で途絶えたが、明治時代に毛利本家が養子を送って再興されたことを紹介。豊臣秀吉がおいの秀次を切腹させ、一族39人を処刑したとされる「秀次事件」にも触れ、「秀秋は秀次を兄のように慕っていたので、豊臣家にかなり複雑な思いがあったのかもしれない」と推し量った。

 秀元の子孫の毛利陽織ひおりさん(50)(東京)は西軍が一致団結して戦えば勝利した可能性に関し、「もし“下関幕府”ができていたら、今とは全然違う時代になっていたのではないか」と話した。

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