読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

住宅街城下町の面影 鍛冶小路、クランク・・・・

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

武田氏の時代に築かれたクランクの名残を歩く数野さん(右)と記者(4月20日、甲府市で)
武田氏の時代に築かれたクランクの名残を歩く数野さん(右)と記者(4月20日、甲府市で)

 甲府市の武田神社が、武田氏の居館跡に建てられたのは有名な話。戦国時代に城下町が築かれた一帯も、今は住宅街が広がっている。面影は残っているのだろうか――。ふと疑問に思った記者が、専門家と一緒に歩いてみた。

 4月20日朝。城下町の歴史に詳しい帝京大学文化財研究所(笛吹市)の事務長・数野雅彦さん(64)と武田神社で待ち合わせた。

 1519年に建てられて以降、居館を起点に南北約2・5キロ、東西約1キロの範囲に、縦に延びる5本の基幹道路を整備し、武士や商人らを住まわせたと説明を受ける。「城下町は左右対称に造られていました。京都を意識していたのかもしれませんね」

 神社から東へ進むと早速、土塁や堀の跡が現れた。元々、居館の正門にあたる大手門があった場所で、〈1〉史跡公園が整備されている。

 南東へ下る。愛宕山スカイラインに立つ大きな鳥居をくぐった辺りで、数野さんの足が止まった。

 「いとあはれですねえ」。民家に挟まれ、人がすれ違うのがやっとというくらいの薄暗い〈2〉小道を前に、しみじみと語る数野さん。宅地開発が進められた中で、痕跡をとどめたのだという。一見、何の変哲もない小道にロマンをかきたてられた。

 北東中学校正門前の道路が〈3〉「鍛冶小路」だ。金属を溶かした時に出る不純物や井戸の跡が発掘調査で見つかったことから、刀などの武具を作る職人が住んだ地区と考えられている。

 「居館周辺は武家屋敷が立ち並び、職人や商人は今の山梨大より南に住んでいました。ただ、鍛冶職人だけは仕事柄、居館のそばにいたのでしょう」。北側の山々から吹き下ろす風を考慮し、居館の風下に鍛冶場が設けられたとする数野さんの持論にも合点がいった。

 西へ進み、武田通りを渡って抜けた先で〈4〉S字に屈曲した道路に出くわす。敵の侵入に備え、居館への見通しを遮るために作られたクランクが色濃く残る地点だ。

 「広小路」と呼ばれ、主要道路だったと推定されるが、「攻め込まれにくくするために、現代と比べれば道幅も狭いですよね」。立ち話する目の前を、車が徐行しながら通り過ぎていく。民家が軒を連ねる街並みも、何だか特別な風景に見えてくる。

 「『紺屋』や『連雀』といった戦国城下町の地名は、今も自治会やバス停の名前に残っています」。数野さんの解説は止まらない。今回の1時間ほどの散歩で垣間見られたのは、ほんの一部。武田氏ゆかりの地を、もっと訪ねてみたくなった。

無断転載・複製を禁じます
2029979 0 知りたい信玄 生誕500年 2021/05/05 05:00:00 2021/05/05 05:00:00 武田氏の時代に築かれたクランクの名残を歩く数野さん(右)と伊丹記者(20日、甲府市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210504-OYTAI50008-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)