浅田真央ヒストリー 幼少期~引退会見(全文)

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 10日夜に自身のブログで現役引退を表明したトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)と笑顔で日本中を魅了してきたフィギュアスケート女子・バンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央さん(26)。その決断と軌跡をまとめました。

4月12日・引退会見の内容

記者会見を終え、手を振って会見場を後にする浅田真央さん(12日午後0時25分、東京都港区で)=林陽一撮影
記者会見を終え、手を振って会見場を後にする浅田真央さん(12日午後0時25分、東京都港区で)=林陽一撮影

 「みなさん、こんにちは。浅田真央です。本日はありがとうございます。2日前にホームページで発表しましたが、また改めてご報告いたします。わたし、浅田真央は選手生活を終える決断をしました。長い選手生活だったが、たくさん山がありました。たくさんの山を乗り越えられたのも、支えてくださった方々やたくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています。きょうは感謝の気持ちをみなさんにお伝えできればと思い、このような場を設けさせていただきました。本日はよろしくお願いいたします」

質疑応答

 ――改めて今の心境を

 「この場に入ってきたときにたくさんの方がいたので、私自身びっくりしたが今は落ち着いている」

 ――ファンの印象に残った言葉は

 「発表してからはたくさんの方が連絡をくださったが、お疲れ様と言ってくれて、選手生活を終わるんだと思った」

 ――誰に報告したか

 「家族や友達に」

 ――印象に残った言葉は

 「みんなお疲れ様、よくがんばったねと」

 ――引退を決めたきっかけは、どのぐらいの時期から考えた

 「いい形でスタートできたが、試合に出るにつれ、ついていけるのかなという思いが、気持ちや体の部分で前より強くなった」

自分の体も、気力も出し切った

 ――全日本から3か月。どんな気持ち?

 「やはり、自分が復帰してから、平昌五輪に出るということを目標をしていたので、言ってしまったことが重荷になった」

 ――達成感は?

 「ソチが終わってから、まだまだできるし、やれるという思いがあった。挑戦してみて自分の体も、気力も出し切った」

 ――最後にトリプルアクセルに挑んだ

 「最後になるのかなという気持ちは、ソチの五輪ほどではなかった。トリプルを飛べて終えたのは良かった」

 ――最初のことを覚えているか

 「5歳だった。ヘルメットをして、スキーウエアで膝あてをした写真が残っている。いくつも技ができるようになり楽しかった」

 ――つらかったのは

 「この道を選んできたのも自分ですし、つらいと思ったことはない」

ソチ五輪フリー…4年間の思いを4分間に注ぎ込めた

 ――2回の五輪を振り返って。まずはバンクーバーの思い出を

 「バンクーバーは19歳だったが、十代で若くて本当に気が強くて、強い気持ちだけで乗り越えた感じがする」

 ――ソチを振り返って

 「ソチ五輪はやはりショートが残念な結果だったので、本当に気持ち的には、すごくつらい試合ではあったが、フリーで最高の演技で終えることができて、バンクーバーからソチ、4年間の思いをすべてその4分間に注ぎ込めたと思う」

 ――2度の五輪を経験した

 「私の今後の人生においてもすごくいい経験だったり、いい思い出だったのかなと思っている」

最後の世界選手権が一番思い出が強い試合

会見に臨む浅田さん
会見に臨む浅田さん

 ――そして日本人最多となる3回の世界選手権優勝

 「選手権で2回金メダルをとったときは、すべて五輪のあとだったので、五輪の悔しさを世界選手権ではらせたと思う。最後の世界選手権は自分の気持ちの中では最後と思ってのぞんだ大会だったので、いままでのスケート人生をすべてそのプログラムにぶつけた。最後の世界選手権が一番思い出が強い試合だった」

 ――現役生活をふりかえって最も印象的なのは?

 「やっぱりソチのフリーかなと思う」

 ――あの時間に込めた思いは大きい?

 「気持ちが落ち込んたりつらかったりしたが、挽回の演技ができたことに対して、オリンピックだったということが一番大きかったと思う」

 ――長く指導を受けた2人のコーチ。どんな思いが?

 「挑戦する楽しさを教えてくれた。その一方で、色々なことを教えてくれた先生」

 ――そして佐藤コーチについては

 「佐藤コーチは大人になってから指導を受けたけど、やはり自分の意志ですごく強いので、先生と話し合いをして機会を多かったが、自分の意見を聞いてくれて、見守ってくれていた先生だった」

 ――休養があって、戻ってきてのシーズンは、佐藤コーチとのやり取りもあったと思う。復帰後の2年の意味は?

 「復帰をして望んでチャレンジした結果なので、何もやり残したことはない。もう一度チャレンジすることができたので、よかった」

若い選手がスケート界をひっぱっていってほしい

 ――今後のこと

 「まず、夏にアイスショーで、みなさんの前で滑れる。いい演技を見せたい」

 ――スケートにどう携わるか

 「ずっと関わっていきたい」

 ――スケート界へ今後のエールを

 「若い選手がこれからのスケート界をひっぱっていってほしいと思う」

 ――フィギュアスケートとはどんな存在か?

 「存在……。どんな存在ですかね。難しいですけど、一言で言うと、やはり人生かなと思う」

 ――引退を発表して自分をほめたい部分は?

 「私、結構飽きてしまうことが多いが、スケートは、5歳から26歳まで続けて来られた。長い間、すごいね、続けて来たねって言いたい」

 ――どういう人生だった?

 「すべてがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生」

 ――ファンも一緒に歩んできた。ファンに向けて

 「本当にたくさんのファンの方が私のことを応援してくれた。長い間、良いときも悪いときもあきらめずに応援してくれたので、すごくはげみになったし、すごくパワーになった、本当に感謝している。ありがとうございました」

 ――のどを潤してましたが

 「熱気がすごく、のどが渇いた」

 ――引退という日。実際にこの日を迎えて

 「発表まで実感はなかったが、改めてここに座り、振り返りながら話していると、引退するんだなという気持ちは湧いてくる」

 ――さみしいのか、ほっとしているのか

 「晴れやかな気持ちだ」

 ――現役でやり残したこと、悔やまれることは

 「決断をするにあたって、たくさん悩んだ。でもやり残したことは何だろうと思うことがなかったので、すべてやりつくしたんじゃないかなと」

 ――今日は白いブラウスに白いジャケット。真っ白の服に込めた思いは?

 「黒のスーツか白、どちらかにするか悩んだが、晴れやかな気持ちだから」

あえて「ノーミス」

 ――「ノーミス」という言葉を何度も出したが、パーフェクトにこだわった理由は?

 「失敗したくないし、これだけ練習しているからこそ誰もミスしたくないと思う。自分は試合に強くないタイプなので、あえて自分に言っていたのかな」

 ――トリプルアクセルへの思いは?

 「伊藤みどりさんのようなトリプルを跳びたいと思ってやっていた。自分の強みでもあるが、悩まされることもあった」

 ――引退の決断まで時間がかかったが、選手権で五輪枠が3から2に減ったことへの受け止めや決断への影響は

 「自分で言っていた平昌五輪に出るという目標が許せるのか許せないかずっと悩んで過ごしてきて、最終的に話しあって決めたのが2月。世界選手権が影響したわけではなく、自分自身が最後に決めた。2枠を大勢のたくさんの選手が争うので、ハイレベルな試合になる」

 ――浅田さんは子どもと接しているイメージがある。子どもたちにアドバイスするなら

 「私は小さいころから本当にスケートが大好きで、ただただスケートが大好きでやってきた。いまから始める子だったり、いまがんばっている子には、スケートを大好きな気持ちを忘れないでねって言いたい。私も本当に子どもが大好きなので、以前にもスケート教室とかをやっていたので、また機会があればぜひやりたい」

トリプルアクセル…なんでもっと簡単に飛ばせてくれないの

引退の記者会見をする浅田さん
引退の記者会見をする浅田さん

 ――トリプルアクセルに声を掛けるとしたら?

 「難しい……(笑)。トリプルアクセルに声をかけるんですよね(笑)。なんでもっと簡単に飛ばせてくれないのって感じ」

 ――スケートを続けて来られた支えは?

 「一つはやはり自分の目標ですね。それだけではないが、たくさんの方に支えられて、そしてたくさんの方の応援があったから」

 ――引退を決意するまでに「目標を掲げたのにここでやめていいのか」と悩んだということだが、全日本後の3か月間、誰が決断を後押しし、心を軽くしたのか?

 「家族、友人、知っている方に相談はした。本当に色々なアドバイスをくれたが、最終的に決めたのは、自分自身。旅行に行ったり、今まで行けなかったところに行ったりして、日々過ごして決断した」

 ――最終的には自身の中で?

 「はい」

 ――21年間という長い競技人生、続けることが大変だったと思うが、何か、誰かにかけられた印象深い言葉、自分の大切にしている言葉は?

 「この決断をしてからは、たくさんの方に温かい言葉を送っていただいたので、私自身晴れやかな気持ちで、ここにいる。なので、『感謝』という気持ちはこれからも忘れずに進んでいきたい」

 ――21世紀のはじめに浅田さんが出てきて、ショーも行われ、多くの人が見るようになった。どういうふうに貢献したか。日本のスケート界に期待することは

 「ちっちゃいころから、伊藤みどりさんのような立派なスケーターがいた。私もこうなりたいと思ってやってきた。それぞれが刺激しながらやってきた。応援してくれるメディアやファンがいた。これからも、みんなで高めながらやっていってほしい」

 ――たくさんの山があったと言っていたが、ソチ五輪のとき、ショートからフリーへ向けてどう立ち直ったか?

 「ショートが終わってから、日本へ帰れないと、つらい思いをした。フリーの朝も気持ちが立ち直ってなくて、大丈夫かなと思ったが、アップをして、リンクの前に立ち、これはやるしかないなと思った」

 ――ソチ五輪。フリーを終えた瞬間は?

 「最後のポーズで上を見ていたが、終わったと思った。それと同時に良かったという思いがこみあげて涙した。バンクーバーでも悔し涙を流したので、泣いていてはだめだと思って、がんばって笑顔にした(笑)」

 ――きょうは卒業式。新しい道でもある。あえて今の時期、新入社員の一人としてこれから不安に思うことは?

 「私も本当に新たな一歩だと思っている。不安とか何もなくて、ただ前にある道を進んでいくだけ。これからも新たな経験をして元気に前を向いて進んでいきたい」

 ――プルシェンコも引退を表明した。

 「プルシェンコ選手も引退されたということで、心からお疲れさまでしたと言いたい」

 ――前を向いて、戦い続ける姿は印象的だった。大事にしてきたこと、信念は

 「小さいころから変わらないが、何かしたいという目標を持ってやってきた。目標を達成する強い気持ちを持ってやってきた」

 ――時間が少しできた。やりたいことは

 「1、2、3月は時間があったので、旅行に行ったりおいしいものを食べたりできた」

 ――金妍児(キムヨナ)選手への思いを

 「私たちは15歳、16歳から一緒にジュニアの試合やシニアの試合で一緒に試合に出た。お互いにいい刺激を与えながらずっとスケート界を盛り上げてきたんじゃないかなと思っている」

最後の全日本『もういいのかもしれない』と思った

 ――最後の全日本、滑った時にもういいんじゃないかと思ったとのことだが、全日本にはどんな気持ちで臨んで、滑り終わった時、何が「もういい」と思った?

 「試合に向かう気持ちは一つ一つの試合変わらないが、常にノーミス。自分で言ったが、ノーミスで完ぺきな演技をする、自信を持って滑るというのを考えていた。演技が終わった時に完ぺきではなくて、自分の現役の最高の演技ではなかった。少し、悔しい気持ちもあったと思うが、その後キス&クライに座って、点が出て順位が出て、『もういいのかもしれない』って思いました」

 ――もういいのかもとは?

 「全日本選手権に12歳から出ているが、一番残念な結果で終わってしまって、結果も一つ大きな決断にいたるにあたって大きなできごとだった」

 ――もしも、一度だけ過去に戻れるなら、いつの自分に、どんな言葉をかけるか

 「26年間ですからね、あー、難しい。戻ることはないので、ぱっと答えは出ない」

 ――平昌まで続けたいということだったが

 「あと1年で平昌五輪なので、選手はいろんな思いなので、エールを送りたいです」

 ――オリンピックの舞台とは

 「4年に1度ですし、選手である以上はそれを目指しますし、メダルをとれたのは良かったです。素晴らしい舞台だと思う」

もう一度人生があるなら、スケートの道には行かない

記者会見で後ろを向き、涙をぬぐう浅田真央さん(12日午後0時24分、東京都港区で)=稲垣政則撮影
記者会見で後ろを向き、涙をぬぐう浅田真央さん(12日午後0時24分、東京都港区で)=稲垣政則撮影

 ――もし生まれ変わるとしたらもう一度スケーターに?

 「今こうして26歳までスケートをやって、すべてやりきって、もう何も悔いはないので、もしもう一度人生があるなら、スケートの道には行かないと思う(笑)」

 ――たとえば何に?

 「いろいろある。やはり。なんだろう? 私、食べることが大好きなので、ケーキ屋さんとか、カフェとか、そういうレストランだったり、そういうのをやっていたのかなというふうに思ったりする」

 ――必ず自分が行ったことをやりきるポリシーは誰から

 「まずは母かな。こういう性格、頑固なので。普段はそうではないが、自分が決めたことには頑固なので」

 ――ポリシーを貫いた最初の体験は

 「しっかり覚えているのは野辺山の新人合宿で、トリプルアクセルを必ず跳ぶと決めたのが記憶にある」

 ――それが原点か

 「その時に目標を達成すると、また頑張りたいと思えた」

 ――結婚の予定は?

 「ないです。お相手がいればその方と一緒に帰れたんですけどね」

 ――お相手がいれば、例えば福原愛ちゃん。愛ちゃんみたいに台湾の方と結婚するんですか? あと、ずっと寒いリンクにいたから、温かいところ、例えば台湾でのんびりしたりとか、そういうのは?

 「そうですね。愛ちゃんと友人なので、もし台湾の方でいい方がいたら、ご紹介してほしいなと思う。行ってみたい国が台湾なので、愛ちゃんに案内してもらう」

 ――今後プロスケーターとして活躍されていくと思いますが、プロスケーターとしてどういうスケートを見せていきたい?

 「一番近くにあるのはザ・アイスなので、プログラムも作っていないが、エキシビションナンバーをつくる。それにスケート人生の全てを注ぎ込めるようなプログラムを作りたい」

最後のあいさつ

 「みなさん、今日は本当にありがとうございました。引退を発表してからこの2日間、晴やかな気持ちで引退を迎えられまた、(涙)、えー、スケート人生で経験したことを忘れずに、これから、笑顔で、前に進んでいきたいと思っています。みなさん応援どうもありがとうございました」

「目標が消え、気力もなくなった」ブログで表明

バンクーバー五輪で銀メダルを手にする浅田
バンクーバー五輪で銀メダルを手にする浅田

 フィギュアスケート女子の2010年バンクーバー五輪銀メダリスト、浅田真央(中京大)が10日、自身のブログで現役引退を表明した。

 「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました」などとつづった。

 04~05年シーズンに国内外のジュニアのタイトルを総なめにして天才少女と呼ばれた浅田は、06年トリノ五輪は年齢制限で出場できなかったが、08年に世界選手権で初優勝。バンクーバー五輪では、女子では跳べる選手が少ない高難度のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)をショートプログラム(SP)とフリーで計3度成功。金妍児(キムヨナ)(韓国)に及ばなかったものの、初出場の五輪で銀メダルを獲得した。(2017年04月11日)

<ブログの全文>

 突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。
 今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。
 ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。
 復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。
 そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。
 これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。
 皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。
浅田真央

ジャンプを求めて…アスリート浅田真央が残したもの」(読売新聞・三宅宏編集委員)

消えてしまった平昌の夢…海外メディアも速報

 浅田真央選手の引退表明は、日本時間の10日夜から11日朝にかけて海外メディアでも速報された。

 韓国の日刊紙「中央日報」の日本語版サイトには「消えてしまった平昌の夢…浅田真央が現役引退」と題する記事が掲載された。

 記事は「『フィギュアの女王』キム・ヨナ(27、引退)の現役時代の最大のライバルとされていた日本のエース、浅田真央(27)が引退を宣言した」と、金妍児(キムヨナ)との関係を軸に書かれている。二人はジュニア世代から激しく争い、世界ジュニア選手権ではともに1回ずつ優勝と準優勝を獲得したものの、シニア時代には「キム・ヨナの壁を越えることができなかった」とした。

 ただ、ソチ五輪後に「銀盤を離れたキム・ヨナとは異なり、浅田は1年間休養を宣言したが帰ってきた。平昌五輪で最後を燃やすという覚悟だった。だが、かつての浅田ではなかった」と引退を惜しんでいる。(→記事へ)(2017年4月11日)

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30987 0 まとめ読み 2017/04/12 16:30:00 2017/04/12 16:30:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20170412-OYT8I50012-T.jpg?type=thumbnail

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