女子レスリング吉田沙保里選手の引退記者会見

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 8日に現役引退を表明した女子レスリングの吉田沙保里選手(36)(至学館大職員)が10日、記者会見を開き、オリンピック3連覇や国民栄誉賞受賞など数々の栄誉に彩られた現役生活を振り返った。会見の主な発言は以下の通り。

本人あいさつ

引退を表明し、記者会見を行う吉田沙保里さん(10日午後2時2分、都内のホテルで)=竹田津敦史撮影
引退を表明し、記者会見を行う吉田沙保里さん(10日午後2時2分、都内のホテルで)=竹田津敦史撮影

 私、吉田沙保里は、33年間の選手生活に区切りをつけることを決断いたしました。

 自国で開催される東京五輪に出場したい思いがあった。リオで銀に終わってしまった。たくさんの人に(東京で)金を目指してがんばってほしいと応援されつつ、日々迷いながら、ここまで来た。

 若い選手たちが世界の舞台で活躍するのを多く見るようになり、女子レスリングを引っ張ってもらいたいという思いにもなった。自分自身と向き合った時、レスリングは全てやりつくしたという思いがあり、引退を決断した。

 これまで長い間、現役選手として頑張ってこられたのは、たくさんの応援とサポートがあったから。本当に、ありがとうございました。

質疑応答

ロンドンオリンピックで金メダルに輝き、父でセコンドの栄勝さんを肩車する吉田選手。左は栄監督(2012年8月)
ロンドンオリンピックで金メダルに輝き、父でセコンドの栄勝さんを肩車する吉田選手。左は栄監督(2012年8月)

 ――今どんな気持ち。

 3歳から始めたレスリングを33年やってきたことを、本当にうれしく思う。この場であいさつをでき、感謝の気持ちを伝えられて、ホッとしている。

 ――最終的に決断したのはいつ。

 父は生前、「引き際は大事だよ」と。「勝って終わることが大事だ」とも言われていた。最終的に、去年12月の天皇杯の試合を見たりして、その辺で心は決まった。

 ――天皇杯で、伊調馨選手が優勝するのを目にして、何を思ったか。

 人は人と教えられてきた。自分の心は(現役続行には)動かなかったが、共に頑張ってきた馨の「東京オリンピックを目指す」という言葉を聞いた時には「すごいな」と率直に思った。

 ――父への思いを。

 引退会見を(自分の娘が)するだろうと、父は思っていなかったと思う。ビックリはしていると思う。応援してくれたみなさんに感謝を伝えるために設けたこの場だが、父も「よく頑張った」と天国から言ってくれていると思う。

 ――次の夢は。

 いろいろあるが、レスリング以外のこともやっていきたい。やはり、女性としての幸せは絶対につかみたいと思っている。来年の東京五輪を盛り上げたい思いも強い。

 ――東京五輪と、どうかかわりたいか。

 コーチも選手も頑張っている。私も精神的な支えになれたらと思っている。

 ――リオ五輪決勝の相手選手について。

 ヘレン選手とは、前から何度か試合をしていて、4年ぶりくらいに当たった。私のアテネ五輪の戦いを見て、「私が(吉田を)倒す」と目標にしていたと聞いた。それまでは大差で勝っていたが、リオ五輪では組んだ瞬間、圧力と勢いがすごかった。4連覇したかったが、ヘレンの方が勝ちたいという思いが強かったんだと思う。強くなったな、強いなと思った。

 ――多くの著名人、アスリートと交流があるが、レスリング選手以外で影響を受けた人は。

 五輪に出たいと思ったきっかけは、柔道の谷亮子選手。谷選手にあこがれて、中学生時代から「五輪で金メダルを取りたい」という夢を持ち、レスリングが正式種目になってもいない頃から五輪に出たいと思ってきた。大学のころにアテネ五輪で正式採用ということが決まり、出るために必死になった。あこがれた選手は、ヤワラちゃん(谷選手)だけかなと。他にも素晴らしい選手はいるが、きっかけはヤワラちゃんだった。

オリンピックと世界選手権を合わせて史上初の13連覇を果たし、国民栄誉賞を受賞。表彰式で野田佳彦首相(右・当時)から真珠のネックレスを受け取った。(2012年11月)
オリンピックと世界選手権を合わせて史上初の13連覇を果たし、国民栄誉賞を受賞。表彰式で野田佳彦首相(右・当時)から真珠のネックレスを受け取った。(2012年11月)

 ――選挙の出馬要請は来ているか。来たらどうするか。

 全くない。要請が来ても出ない。

 ――栄和人・元監督はどんな存在か。

 3歳からは高校まで父に育ててもらって、大学で栄監督と出会った。世界で戦えるように育ててくれた熱い指導者。感謝の気持ちでいっぱい。引退すると言ったら、「そうか。ご苦労さん」という言葉をかけてもらった。「俺が泣きそうだよ」とも。涙もろいところもある。

 ――最も印象に残っている五輪や世界選手権のメダルは。

 2002年の世界選手権からスタートし、16年のリオ五輪まで、世界の舞台で活躍できた。どれも印象に残っているが、最後のリオ五輪。それまでは世界で16回、表彰台の一番高いところに立ち、「やった、勝てて良かった、うれしい」という気持ちしかなかった。リオ五輪では「負けた人って、こんな気持ちだったんだ。競い合う仲間がいたから(自分は)頑張ってこられたんだ」と知ることができた。負けて得ること、知ることは大きかった。リオの銀メダルが、私を一番成長させてくれたということで思い出に残っている。

 ――マットに別れを告げたか。

 まだ別れを告げていない。後輩たちと練習しているし。これからまだまだ、後輩たちと汗を流すと思う。

 ――昨年、女子レスリング界が不祥事に揺れた。どんな思いでいたか。

 私を育ててくれた栄監督と、共に頑張ってきた仲間が、昨年のああいう状況になったことはショックだった。そういう中でコメントすることは難しかった。「これからどうしていくんだろう」という思いも強かったし、後輩たちが悩み、思い切り練習できなかったり、試合で結果が出せなかったりしたところが、一番つらかった。次に向かって頑張っていくしかない。前を見て、東京五輪に向けて、一つになって頑張っていかないと。

 ――自分の強みは。

 タックルで攻めるのが一番の強みだった。

 ――吉田選手にとって、レスリングとは。

 人生の一つ。レスリングがなかったら、ここまでの私はなかった。いろんなことを学べた。いろんな人と出会えた。本当にレスリングのおかげだと思っている。

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60094 0 まとめ読み 2019/01/10 15:45:00 2019/01/10 15:45:00 引退を表明し記者会見を行う吉田沙保里さん(10日午後2時2分、都内のホテルで)=竹田津敦史撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190110-OYT8I50038-T.jpg?type=thumbnail

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