こんなふうに死にたいという思いと不安「隙間埋めるのが医者の役割」…高齢者100人在宅で看取る
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高知県の幡多地域で高齢者らの最期と向き合い、100人以上を在宅で
「どうかねえ。まだ死なんかねえ」

小笠原さんが市内の自宅を診察に訪れるたび、その女性は必ず聞いてきた。「大丈夫、大丈夫。そんなんでは死なん」と元気づけると、「そりゃ困った。みんなが困る」と女性が返し、2人で大笑い。約6年間、同じような会話を繰り返してきた。
11月中旬、家族から「おばあちゃん、ちょっと調子悪そう」と電話があった。駆けつけると呼吸が少し不規則で、やがて息を引き取った。104歳、死因は「老衰」。苦しむ様子もなく、天寿を全うしたように穏やかな最期だった。
末期の肺がんだった70歳代の男性は昨年9月末、「家で死ぬ。景色も見られるし」と高知市内の病院から四万十川沿いの自宅に戻った。初めて訪問した際は、「死ぬときにみてくれる医者が見つかった。これで安心して過ごせる」と、表情を和らげた。
軽乗用車を運転して田舎道を通い続けること2か月余り。病状は次第に悪化し、その年の12月、男性は妻が台所で食器を洗う音を聞きながら、鳥のさえずりと風の音に包まれて亡くなった。
「『こんなふうに死んでいきたい』という思いもあれば、不安もある。患者さんの、その気持ちの隙間を埋めていくのが医者の役割」と、小笠原さんは言う。「患者さんの『まだ死なんかね』『まだ迎えが来ん』はもっと生きたいという思いの裏返しではないか」
小笠原さんの毎日は朝の電話から始まる。「どうですか?」「夜は眠れましたか?」。気になる患者の容体を確かめ、「優れない」と聞けば診察に向かう。「診察室に座って患者さんを待つのでなく、元気な自分から動く」と思うから、休日も夜間も関係ない。約40人の訪問診療を続け、1日に2度、3度と訪ねることもある。
土佐市出身で学生の頃から地域医療への思いは強く、1997年春、20年間勤務した高松赤十字病院(高松市)を辞めて妻の古里の四万十市へ。在宅で看取ることにこだわり、その患者は100人を超えた。小笠原さんは、最期のときまでのプロセスを看取りだと考え、重んじる。
「痛まず、苦しまず、できれば何か食べられて、なじみのなかで最期を迎える。そこに私がどう参加して、家族も含めて楽な気持ちになってもらうか。人間としての関わりが大きい」
高齢者の半数以上が自宅での最期を望んでいると言われ、国は団塊の世代が75歳以上になる2025年に向けて在宅医療を推進する。しかし、自宅での介護は家族への負担が大きく、限界もある。
だから、小笠原さんは患者の通夜にはできる限り出席して家族の労をねぎらう。「あなたがお疲れになったから、いい仕舞いができました」と。