「アジサイの哲学」に気づくには

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 私は、普段でも、旅をしているときでも、ごくありふれた街の中を走るのが好きです。

 「旅ラン」においても、名所旧跡や景色の良いところを走るよりも、普通の裏通りを走る方が好きです。その方が、よほど良い「観光」になるような気がするのです。風土や生活が「点」ではなく、「線」や「面」で伝わってくるのです。

 走るということは、つまり、歩くことをいわば「早回し」でやることで、それだけ広い範囲をカバーできます。しかも、車や電車で移動するのとは違って、自分の体に近いところで、さまざまなものを見ることができます。興味があるものの前では立ち止まったり、たとえ通り過ぎても引き返したりすることができます。

 そのように、あるエリアを走りながら体験することで、自分の中に、土地の「精神」のようなものが染み込んでくるような気さえしてくるのです。

いつまでも、じんわり、ゆっくりと咲く

 このところ、梅雨で湿りがちな天気が続きますが、そんな中でも走り続けています。時間さえあれば、基本的に一日10キロは走ります。

 このところ気になるのがアジサイです。桜の花ほどの派手さはありませんが、あちらこちらに咲いているので、走っていると目立ちます。

 アジサイは、花が開いている時期が長く、また、その間に少しずつ色が変わっていくようです。元々の花の色も品種や環境によって違うようで、全体として見ると、かなりの多様性があります。

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 先日も、きれいなアジサイが咲いているのを見つけました。もう少し () ってからまた同じ花を見ると、色が変わっていくのを楽しむことができるのかもしれません。

 アジサイという花は、桜の花とはまた違って、さまざまなことを私たちに教えてくれるような気がします。

 いわば、「桜の花の哲学」のようなものがあるとすれば、それに対する「アジサイの花の哲学」があるように思うのです。

 桜の開花は、春の訪れを象徴する出来事として、多くの人たちに注目されます。メディアも、桜前線の北上を大きなニュースとして取り上げます。

 一方、アジサイの開花は、それほど大きなニュースにはなりません。雨の降りがちな季節だということもあるのでしょうが、アジサイの花を () でるという催しも行われているとはあまり聞きません。

 本当はアジサイの花を見ながら、日本酒を「冷や」でちびりちびりやったら、それなりに風流だろうとは思うのですが、そのような習慣を持つという人に出会ったことがありません(私自身も、そのような習慣を持ちません)。

 アジサイは、桜の花のように、ぱっと咲いてぱっと散るということがありません。いつまでも、じんわり、ゆっくりと咲き続けています。だから、見る側もつい、今ちゃんと見なくてもしばらくは咲いているだろうと油断してしまいます。

その魅力に気づくためには

 アジサイは、桜の花のように、見上げる高さには咲いていません。むしろ、しゃがんだり、目を落としたりして見なければならない存在です。そのせいもあって、子どもの頃は、アジサイは大人になった今よりも身近な存在であったような気がします。アジサイの葉っぱの上をカタツムリがゆっくりと () っていくような光景も、しばしば見ていたように思います。

 アジサイが話題になるきっかけとして、アジサイがたくさん咲いていて、「名所」と呼ばれる公園やお寺などに人々がたくさんやってくるということがあります。確かに、見渡すかぎりアジサイが咲いている様子は、とても美しく壮観です。梅雨の季節の風物詩として、楽しみにしている方もたくさんいらっしゃるでしょう。

 一方、アジサイ自体の美しさを愛でようと思ったら、たった一株でも十分なのではないかとも感じます。道行く者を立ち止まらせる力と優雅さは、一輪のアジサイの花にもあるでしょう。

 このように、桜の花とアジサイの花を比較していろいろと考えていくと、私たち人間が世界を見る時の癖というか、ほんとうにちょっとした傾向の違いが結果として大きな差につながっているなと思います。「桜の花の哲学」と同じくらい、「アジサイの花の哲学」も魅力的なのに、それに気づくためには見方の工夫や何らかの気づきが必要だと思えてくるのです。

 走りながら、平凡と言われるような街並みに思わぬ魅力を発見したり、季節とともに訪れるごくわずかな変化や、移り変わりに目をやったりしていると、次第に「アジサイの哲学」に近い気持ちになっていく自分があります。

「見る側」の癖や油断、偏見

 世の中には、目立たないし、あまり注目もされないけれども、ひそやかに息づき、花咲いているものがたくさんあるように思います。私たちが気づかないのは、これらのもの自体の問題というよりも、見る側の癖や油断、そして偏見ゆえなのではないかと思えてきます。

 街を走っていることの意義は、健康上の効用ももちろんですが、そんな静かな思考の変化にもあるように思います。少なくとも、梅雨のこの季節は、今までよりもアジサイを好きになっている自分を発見するのです。

 時には、走りながら「アジサイの花の哲学」にひたるのも、そんなに悪いことではありません。

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茂木 健一郎  (もぎ けんいちろう) 脳科学者、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。1962年、東京生まれ。東大大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。クオリア(感覚の持つ質感)をキーワードに脳と心を研究。最先端の科学知識をテレビや講演活動でわかりやすく解説している。主な著書に「脳の中の人生」(中公新書ラクレ)、「脳とクオリア」(日経サイエンス社)、「脳内現象」(NHK出版)、「ひらめき脳」(新潮社)など。近著に、「成功脳と失敗脳」(総合法令出版)。

168597 1 世界を脳から読み解く 2018/06/25 03:00:00 2019/01/30 17:34:44 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180619/20180619-118-OYTPI50045-L.jpg?type=thumbnail

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