一回り二回りして「やっぱり富士山」

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 一時期、外国から見た日本のイメージとして、「フジヤマ」=「富士山」がよく挙げられていました。

 そして、その頃の日本人の平均的な感覚としては、「日本も随分発展していろいろと進化しているのに、いつまでも富士山じゃないだろう」というのが正直なところだったように思います。

 少なくとも、私はそうでした。

世界遺産になった「日本一の名物」

 ところが、最近になって、一回りも二回りもして、やっぱり富士山はいいよね、桜とか、着物とか、外国から見た日本の印象としてよく取り上げられるイメージ、それなりにいいよね、という雰囲気になってきているのではないでしょうか。

 少なくとも、私は、富士山のようなかつてはステレオタイプだったかもしれないイメージに、日本人から見ても新しい生命が吹き込まれ始めていることを感じます。

 確かに、富士山は、きれいな山です。自然の雄大さ、荘厳さを感じさせます。

 富士山が日本を代表する景観だという認識は、明治時代にも広くあったようです。夏目漱石も、明治41年に新聞連載、翌年に本が刊行された小説『三四郎』の中で、主人公の三四郎が出会う「 (ひげ) の男」(後に広田という高等学校の先生だとわかる)に、次のように語らせています。

 「あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ」

 その「日本一の名物」の富士山の姿が美しく、広く日本人の心をとらえ、また、富士山をめぐる文化や歴史も素晴らしいことは、「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」としてユネスコの世界遺産に登録されたことでもわかります。

「見慣れた」富士山の新しい文脈

 ところが、困ったことに、私を含め日本人の一部は、富士山を見慣れ過ぎてしまっているようです。

 私はよく東海道新幹線を利用するのですが、その度に、富士山を見るのを楽しみにしています。季節やその日の天候によって見え方が毎回異なるので、新鮮な驚きやよろこびがあるのです。

 一方で、あまりにも多くの回数富士山を見ているので、見ても、本当の意味での感激がなくなっているのかもしれません。

 「ああ、富士山か」と思って、そのまま眠ってしまう。そんなことが私にもなかったとは言えません。

 人間の脳は、提示される刺激がどのような「文脈」に置かれているのかということを敏感に受け止めます。同じ刺激でも、違う文脈で提示されると新鮮に感じます。

 富士山を見慣れている人たちでも、新しい文脈でそれが提示されると、新しい感動があるようです。

 たとえば、東京は今では普段は富士山を見るのが難しいのですが、気象条件が良いと、思いもかけずきれいに富士山が見えることがあります。

 ビルの高層階に上がった際、あるいは電車に乗っているときに、地平に富士山が見えると、「あっ、富士山だ!」と大人でも歓声を上げてしまいます。見えるのが当たり前という場所ではなく、思いもかけぬかたちで見えるからこそ、感激も大きいということなのでしょう。

さまざまな角度からの『富嶽三十六景』

 富士山が一番遠くで見えるのは、北だと福島県あたりのようなのですが、関東各地からは富士山が見える場所が多かったらしく、各地に「富士見」というような地名があります。

 富士山信仰の下、各地に富士山を模した人工の山がつくられていることも多く、私も散歩の途中などで何回か出会ったことがあります。昔から、人々はさまざまなかたちで富士山に思いを () せてきたのでしょう。

 自分たちで山を築くというように新しい文脈をつくると、富士山の魅力が改めて発見できるということがあるのかもしれません。考えてみれば、銭湯で描かれている「富士山」の絵も、新鮮な文脈で富士山を見るための一つの方法なのでしょう。

 富士山は、あまりにも偉大。だからこそ、慣れてしまわないために、さまざまな角度から富士山を見ることが大切なのかもしれません。その意味で、葛飾北斎の浮世絵の連作『富嶽三十六景』は、富士山の魅力をいろいろな構図から引き出した、素晴らしい芸術作品だと言うことができるでしょう。

洋上から見た富士山!

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 そんなことをいろいろと考えたのも、先日、船に乗って海の上から富士山を見る機会に恵まれたからです(写真)。

 洋上から見た富士山は、本当にきれいで、こんなに (すご) い山が日本にはあるんだなあと改めて感激したのでした。

 幕末に日本にやってきた外国の方は、大海原から富士山の姿を見て、「ああ、これこそ日本だ!」と強い印象を受けたのではないでしょうか。

 その感動がいろいろなかたちで伝わって、日本といえば「フジヤマ」だというイメージ、一種のステレオタイプに結実していったのではないでしょうか。

 どんなに 手垢(てあか) のついたように見える固定観念の背後にも、たどっていけば案外いきいきとした感動がある。

 そのような気付きは、文脈を変えることで初めて出会うことができます。

 日本人にとって、富士山をどのように見るか、どう捉えるかは、昔も今も文脈を変えて眺めてみるというレッスンの格好なテーマになっているのかもしれません。

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茂木 健一郎  (もぎ けんいちろう) 脳科学者、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。1962年、東京生まれ。東大大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。クオリア(感覚の持つ質感)をキーワードに脳と心を研究。最先端の科学知識をテレビや講演活動でわかりやすく解説している。主な著書に「脳の中の人生」(中公新書ラクレ)、「脳とクオリア」(日経サイエンス社)、「脳内現象」(NHK出版)、「ひらめき脳」(新潮社)など。近著に、「成功脳と失敗脳」(総合法令出版)。

80962 1 世界を脳から読み解く 2019/01/14 03:00:00 2019/01/30 16:33:09 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190109/20190109-118-OYTPI50083-L.jpg?type=thumbnail

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