アッツ慰霊、孫世代へ…23年ぶり巡拝計画

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米軍上陸の約1か月前に撮影された、アッツ島の日本軍の様子。1943年4月頃、山口次雄さん(1993年に死去)が撮影。戦場体験放映保存の会提供
米軍上陸の約1か月前に撮影された、アッツ島の日本軍の様子。1943年4月頃、山口次雄さん(1993年に死去)が撮影。戦場体験放映保存の会提供

 厚生労働省は新年度、23年ぶりに太平洋戦争の激戦地アッツ島への慰霊巡拝を実施することを決めた。現地には今も2000人余りの日本兵の遺骨が残っているとされ、訪問を望む遺族は多いが、無人島となっており個人で訪れることは難しい。同省は6月頃の訪問を計画しており、若い世代の遺族にも広く参加を呼びかける。

 日本軍は1942年6月、当時米領だったアッツ島を占領。約2600人の守備隊を置いた。米軍は43年5月12日、1万人以上の兵力で島に攻め入り、日本軍は同29日にほぼ全滅した。大本営はこの戦いで、敗北について公表する際に、最後まで戦って潔く死ぬという意味で「玉砕」という言葉を初めて使った。

 アッツ島への慰霊巡拝は、同省(当時は厚生省)が78~96年に計5回実施してきた。これとは別に、日本遺族会も参加対象を遺児に限った訪問を2000年と13年に実施しているが、遺児の高齢化が進む中、兄弟や孫など、より広い範囲の人が参加できる慰霊巡拝の実施を国に求める声が強まっていた。

 島は北極に近いベーリング海に面しており、気温が低く、夏場も濃い霧に覆われるため、訪問できるのは霧が晴れる6月前後に限られる。こうした事情から遺骨収集も進んでおらず、亡くなった日本兵約2600人のうち、これまでに収集された遺骨は320人分にとどまる。

 08年には日米両政府による調査が実施されたが、遺骨が残されている地域についての情報が不足し、収集にはつながらなかった。また、滑走路の老朽化で大型の飛行機が着陸できず、重機を運び込むことが難しいことなどから、近年は調査も行われていない。

 同省社会・援護局の担当者は「遺骨収集の再開はすぐには難しいが、慰霊巡拝だけでも実施し、遺族の思いに応えたい」と話している。

 慰霊巡拝は、国が旅費の3分の1を補助する慰霊の旅で、ここ数年は戦没者が多いフィリピンなど年間10か所程度を目的地に実施されている。軽飛行機の定員の関係上、アッツ島への巡拝人数は十数人になる見通しで、同省は今春に自治体を通じて参加者を募る予定だ。

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19738 0 国内 2019/01/14 06:00:00 2019/01/21 12:17:58 2019/01/21 12:17:58 太平洋戦争。米軍と17日間の激しい戦闘の末に日本軍が玉砕した、アッツ島。左上に「一八.四.一九 アッツ島熱田湾」と記載。飛行機に乗り込む日本兵。※本紙での使用許可は提供ご遺族承諾済み。1943年頃撮影。★著作権消滅写真で、ご遺族関係者からの提供写真★ https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190114-OYT1I50021-T.jpg?type=thumbnail

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